少し前から興味が沸いていたのだが、日記もあるし、何に利用したらいいのか思いつかないので、そのままになっていた。が、今回の「新潟中越地震」の情報―特にペット達がどうなっているのか―などを知りたくて調べているうちに、blogの便利さというか、有効性をより感じるようになった。とりたててblogでなくてもいいとは思う。でもblogであることの意義もあるとは思う。
後はもともとあった興味と、サーバーを借りたことで、もっと何か新しいものを弄ってみたいという欲求に後押しされた。
「××ってやつは・・・」と題して、日記とあまり内容が被らないように、気になったこと、思いついたことなど書き留めていこう、と思う。ページはこちら。
おかんからついに直接「いつまで連れて来ると?」と聞かれた。優衣のことである。
やはりおかんが言を翻すと期待することは無理なのだろうか。里親探しをすれば、この子にはいい里親さんが見つかるだろう。いや、見つける。しかし私が優衣と離れ難いのだ。そんな想い、たくさんの保護主さん達がしているとは思えども、自分のことになると一層身に沁みる、へたれだな、私は。
叔母は、事務所のそばにある亡き伯父の家の1スペースなら、優衣に提供してくれると言う。3段ケージを置き、過ごし易いようにありとあらゆるセッティングをすることは、優衣のためなら苦でもないが、優衣は夜を一人そこで過ごすと思うと、切ない。昼間は事務所で、夜はその家で、という生活が果たして優衣の幸せに繋がるのか?何より、自分の気持ちなんて考えず、何より猫の立場で幸せを考えるべきだ。
私に家が買えるだろうか、とこれまで夢想してきたことをあらためて考えてみる。万一買えたとしても、後に残していく健人のこと(まぁ、おばあと伯母の子なんだから、連れては行けないだろう。おばあに万一のことがあれば違ってくるかもしれないが)、しまじ達のことなどなど、それはそれで問題もある。もちろん健人のことも、しまじ達のことも対処を考えるにしても、ここが無理のしどころなのか、と自問しても答えははっきりしない。
優衣と離れたくないという想いが、里親さんの下へ旅立たせた後の後悔に繋がらないか、よくよく考えるべきなんだろうな。
「もらってくれる人はいないのか」と問うおかんには、「まだ里親探しはしてない。病院通いが一段落しないことにはね」と答えておいた。
答えが出せないのは、結局私が自分の我侭な気持ちを吹っ切れないせいなのだろうか・・・。