2013年12月アーカイブ

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昨夜、蓮くんの夢を見た。
元気な蓮くんが、別宅のようでそうではないような場所で、周りに暮らすおじいさん達に愛されていた。
リードもなく、駆けてくる蓮。何故かその背中にはいがいがの巨大な栗がくっついていて、必死に取ろうとしてるのだけど、取れなくて焦っていた(笑)
驚かさないように、そっと近付いて、栗を取ってあげる。ホッとして、懸命に毛繕いする蓮。

目が覚めても、悲しくはなかった。幸せな気分だった。

そうだね、蓮くん。
もう二度と、この世界では会えないし、触れることも、話すことも叶わないけれど、私達は繋がっているね。
まだまだ寂しさが痛いけれど、大丈夫。蓮くんをちゃんと感じられるよ。

これはきっと蓮からのメッセージ。

とーまの受難

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みなと:「ボク、やりますよ!」
とーま:「・・・zzzzzz」
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みなと:「とりゃぁぁぁぁぁ」
とーま:「!!!!!!!」
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みなと:「とーま兄ちゃん!楽しいねぇ♪」
とーま:「や~め~ろ~~~~~(T_T)」
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頑張って相手してあげてるのが、よく分かるとーま。いかんせん、持久力がついていかない。
他の兄ちゃん姉ちゃんsがひどく怒り、またはすぐ逃げるのに、とーまはちょっと頑張ってみる。そこがみなとに(かつては知人から預かっていた子猫・ちゃーに)誤解を抱かせる(- -;)
悲鳴をあげながら逃げていくとーまが憐れなのだけど、可愛くて、ついつい助けずに見ててしまう私・・・(⌒▽⌒;)

本当は、またしても悲しいお知らせ記事を書かないといけないのだけれど、さすがにそればかりの自分のブログが嫌でもあるので、少し別の記事、日常の幸せもちゃんとあるんですよ、っていう記事を入れてからにしようと思います。

ってことで、誰のことを載せようか迷ったけれど、昨日、初めて使ったデジカメの機能についてと併せて・・・(^^;)
初めて使った機能、そう、それは『露出』・・・
使いこなしてる人からしたら、「あほちゃうか!?」って話でしょうが、デジカメ使い始めて十数年、まったく使ったことがなかったのです(- -;)
ほら、デジカメってあっという間にシーン機能とか充実しちゃったし・・・と言い訳。
基本的に、風景や猫達や人間撮るのに、露出いじるのがどうしても必要って場面、あまりなかったし・・・と言い訳。
ですが、ここにきて、黒猫・ちょこの写真、もう少しマシに撮れないかなぁと思ったわけで。
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・・・・・・こんなに違うんですね・・・。まぁ、ぶれたりしてて、それほどいい写真が撮れなかったのはご愛嬌ということで(⌒▽⌒;)
撮影の度に操作しないといけないのはこれまた面倒だけど、まぁ、一つ賢くなれたので、今度からはちゃんと使ってみようかなと思った昨日でした(笑)

やっと文ちゃんのことを書き終えたばかりだというのに、今日、別宅で「王子」として愛され、怖がられていた蓮が逝ってしまいました。
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保護当時、まだ成猫になっていなかったくらいでしたから、恐らく6歳くらい。
保護後間もなく、私もかかりつけ獣医もFIV(いわゆる猫エイズ)を疑うくらいの酷い口内炎になり、けれどFeLV(猫白血病)と共に陰性。ステロイドも強めの抗生剤も新しく出た口内炎用の薬も、口内炎にいいという熊笹エキスもどれもこれもその場凌ぎにしかならないような手強い口内炎で、食べたいのに食べられない状態で(実は口の中に糜爛まであった)、一昨年から去年にかけてはもう駄目かもというくらいどんどん痩せてしまった。
それを根気強く、ホメオパシーで克服し、驚くほど食べるようになって、体重もどんどん増え、安心しきってた。
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気分の改善にとリード付で別宅の庭に出すようにしたのも良かったのかも。お陰で、体調が良くなってからも「出せ、出せ」コール。出さないと食いつきが悪くなるせいもあって、庭に出していましたが、ここ最近の忙しさの中、それが仇になってしまったのかも。
食べる量が減ってきた。そう思ったのはここ3週間くらい?もっと?けれど、すこぶる機嫌も良く、まだそれほど心配になるほどではなかったのに、5日前、いきなりの体重減少。強制給餌を始めようとしたら、自分から高カロリーの液体食を飲んでくれたのでちょっと安心。これ、飲ませようとして飲んでくれる子はこれまでおらず、これが強制になるとその後の結末までは数日のパターン。
が、それも一昨日まで。この時点でかなり覚悟をし始めたものの、頑張れそうな気配もあり、今日も静かに過ごさせるか、蓮自身は苦しいかもしれないけれど諦めずに粘るか、悩みながら・・・。
最後の最後まで、私が蓮と離れたくないばかりに、無理をさせてしまった。本当に、諦め切れなかった。頑張れそうな気がとても強くしたから。状態はこれまでの経験上、もう無理なんだろうと思えるのに、蓮自身が頑張ろうとしてるようにも思えたから。
だから、なおのこと、もっと早くにああしていたら、あの日に今日届いた高栄養食が手元にあったら、ときっといつも以上に長い間、思い続けるのだろうな、と。

1年前、同じ状態になった時には誰もが驚くほど元気になったから、今回もそうなれると信じたかった。
けれどあの時よりも良くない状態だというのも、すごく感じていた。

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どれだけ痩せてきていて、ふらふら歩きになっても庭に出たがった蓮。
だから今日もちゃんと外に出そうと思った。私が抱いて。
昼に少し、3時前に少し。楽な寝姿勢で出られるように、小さな布団に、寒くないようフリースを掛け布団代わりに。
冷たい風だけれども、膝に乗せて一緒に外にいると、はっきりした喜び方はしなかったものの、満足そうな顔つきだった。
きつそうに吐き出すような息を何度もして、3時少し前、私の可愛い蓮王子は旅立ちました。不安そうに見えたから、何度も何度も「ここにいるよ、お母さんはここにいるから」と耳元で囁いて。
こんなふうに見送れて良かったと思う。ほとんどの子は夜、一匹で旅立つから。できるなら、外でこうして私が抱いている時に、大好きな外の空気を吸いながら旅立って欲しいと、朝、外に出た時に願っていたから。
ふと顔を上げると、夕飯の時間が近いせいか(4時過ぎが猫達の夕飯の時間なもので・・・(^^;))、唯一の外出猫・瑠儀が、外猫達が(バロン、那智ちゃん、陸奥、陽太、ロッシ)、まるで私と蓮を見守っているかのようにしていました。ご飯を待ってるだけだと理性では思うけれど、何だかじんとしたのでした。何より、大好きな瑠儀兄ちゃんがいてくれたもんね、蓮くん。

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この子は長生きしないかもしれない、と覚悟してた。いくら克服できたとはいえ、本当に酷い酷い口内炎だったから、もともと免疫力が弱いのだろうと。風邪をひくことはあまりなかったけれど、10年生きられるだろうか、と。
まさかその半分程度で、そしてこんなにいきなりいなくなってしまうなんて、夢にも思わなかった。
悲しくて、苦しくて、寂しくて、辛い。
蓮くんはもう苦しまないんだ、と思っても、もう二度とあのジャイアンなリアクションも、王子としてのわがままも、私だけへの甘え方も、叔母だけへの甘え方も、見ることも聞くことも触れることも叶わないのだと思うと悲し過ぎる。

また会える。また会えるけど、それまでは寂しくてしょうがないよ、きっと。蓮くん。

文ちゃん、またね。

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今年は本当に何なんだろう?ついに5匹目、叔母宅の敷地に来る外猫、文太があっという間に逝ってしまいました。先月6日のことでした。
文太を見送って、こうして記事にするまでに時間がかかったのは、何故だろうと自分でも思う。今もよく分かってない。整理がついてないんだよ、と友人は言うけれど、それだけなのかな。
いや、別に、それ以外に何かがあるって思うわけでもないんですが・・・。

微かに呼吸が速いような気がする。たまきくんの前例もある。気になるなら、連れて行けるなら、少しでも早く病院に行こうと思ったのが、1週間程前だったと思う。日にちも曜日も自身の感覚からかなり消えかかった生活をしていて、はっきりとは思い出せない。
いずれにしても、キャリーには入れられたけど、診察は無理でした。キャリーを開けて数瞬、怖さのあまり飛び出した文ちゃんは、診察室中を逃げ回り・・・・・・。
僅かに予想していた展開でもあります。たまきくんは飼い猫だったし、もともとかなり平気な様子で叔母宅にもやってきたし。でも文ちゃんはいわゆるノラらしく、やはり最初は警戒心強かった。
それでも、寄ってくるようにはなっていたし、撫でることもできたので、もしかしたら診察できるかもという期待もあったのです。

多分、もっと早くから体の中で何かが起こっていたのでしょう。当然ながら。
これはまったく叔母や私の推測、というより想像に近い考えですが、癌の類だったのかもしれない、と。叔母がある場所に、こりこりしたものを感じたと。私自身はレメディの投与と強制給餌でいっぱいいっぱいで、そこまで確認してないのですが。そこから先はまさにあっという間でしたから。

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文ちゃん、私、文ちゃんの写真、この時しか撮ってなかったんだね・・・。まだ私の別宅の庭に来ていた頃。
別宅の庭でご飯をあげ始めて、諸々の出来事があって、A叔母宅へ移動して、何とかそこでご飯を食べ続けられて・・・。こりきにはちょっとイヂワルされて、通せんぼされたりもあったけど(^^;)
喧嘩で耳が縮れてしまったし、顔つきもこの頃(2年前)とはずいぶん変わっている。もっとシュッとした顔になったというか、この頃は太ってたというか。けれど、やっぱり文ちゃんだな、って目を見て思う。
毎回毎回、もっと写真を撮っておけば良かったと思うのだけど・・・。

文ちゃんとのエピソードがあまりにも少なくて、だから私の中の文ちゃんへの想いも少ないのかもしれない、と思ってしまう。
文ちゃんを心配し、可愛いと思い、世話してきたことに変わりはないのに、あまりにもあっけない最後の時間が、負い目を感じさせるのかもしれない。そんなふうにあっという間に旅立つ子はこれまでにもいたけれど、文ちゃんとは元気な頃にもまだ距離があったせいかもしれない。心配はしたけど、手のかからない子だったし。それに多分、これからじっくり距離を縮めていけばいい、って呑気に思ってたんだろうな、私は。

文ちゃん、もう少し、お世話させて欲しかったよ。急いで逝くことなかったのに。
今度はゆっくり、ちゃんと待ってて。もう一度会う日まで。

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