*私の外猫達*の最近の記事

写真、どの子もどんどん撮っておかなければと思うのに、突然の出来事に後悔する。
別宅外猫の甲斐くん、気づかぬうちに旅立っていました。
玄関脇の門の外(階段があって、まだそこはうちの敷地)に、横たわっていたのを気づいてくれたのは、たまたま来てた従兄。
一昨日は確かに元気だった。このところずっと痩せてきてはいたけれど、私のそばをすりすりっと通っていき、撫でさせてくれた。
昨日の夕方は姿を見なかったけれど、たまにそういうこともあったので、特に気にしてなかった。ということは、記憶が定かではないけれど、朝も姿を見たはず。でなければ、さすがに「あれ?」とは思う。そういうスタンスにいる子だった。
恐らく、昨夜、というよりももう今日になっていた夜中過ぎ、別宅を私が出る時にはもう...と思うと、それはいたたまれない気持ちになる。気づかなくて、ごめんね、と。
けれど、今の私はこうも思う。
愛嬌のある、ちょっと頓狂とも言えそうな顔で、甲斐くんは「いいんだよ」「楽しかったよ」って。

初めて現れたの時点でもうすっかり成猫だった甲斐くん。
茶雉の長毛で、しっぽがほんのちょっびりで、ふわふわの毛だった。
もちろん最初は近寄らせてくれなかった。けれど、少しづつ、少しづつ、撫でさせてくれて、ついには膝抱っこすることができるようになり、それに調子こいて、素手捕獲をした子。噛まれたけれど...(^_^;)
術後は距離が出逢った頃にまで後退してしまった(・・、)
それから再び、撫でさせてくれるまで時間がかかった。かかったけれど、その分、思いっきり撫でられるようにもなった。敷地内に用意した寝床を使ってくれて、ほとんど敷地周辺から動くこともなく。
そう考えれば、甲斐くんはそこそこの年齢だったのかもしれない。愛嬌のある顔つきが若く見せていただけで。
あぁ、写真がないのが返す返すも残念で寂しい。唯一残っているはずの写真は術後のため、遠目でしか写ってないし。
けれど忘れない。あのふわふわの毛。きっと朧になるだろうけれど、ちょっとお間抜けな感じの愛嬌のある顔を。あるんだかないんだか分からなくなるくらい短かったしっぽを。

あまりに突然の出来事過ぎて、気持ちがついていってないのかもしれない。
でも、悲しいけれど、最近はみんなに「ありがとう」という気持ちが強い。
私のところへ来てくれてありがとう。私のところで旅立ってくれてありがとう。

だから、甲斐くん、いつかまた会おうね。きっと。

5日前、きみは確かにいた。
生命に満ち溢れてた。
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けれど、今、もうきみの魂も生命ももうこの世界にはない。あの日が、ご飯をあげた最初で最後になってしまった。
でも、きみが確かにいたこと、一生懸命に生きてたこと、その愛らしさも、決して忘れないから。

助けることができたかもしれない。おこがましい思いかもしれない。結局はきみの今世での生がそうだったのだろうけれど。
体は綺麗で、僅かに出ていた唾液に血液が混じってたから、本当に打ち所が悪かったってことなんだろう。きっと運転手は気づいていないんだろう、一つの生命を奪ったことに。

こうなる確率は低くはないと思ってはいた。だからできることなら、兄妹3匹保護は厳しいけれど、うちに保護して、里親さんを見つけるなり、うちの子にするなりしようとも思い始めてた。
しかしのら母から生まれた子って、やはり厳しい。おおっぴらに捕獲もできない環境で、なお厳しい。せめてお母さんのこまちが慣れてくれていれば...とも思ったけれど。
でもすべて言い訳。人生の中のあらゆることは「するか、しないか」だけ。事情も状況もあるけれど、最後は結局「するか、しないか」しかない。


・・・だから、本来「素手捕獲ができた子猫か、病気怪我してる成猫しか保護はしない」というポリシーを一旦棚上げしておこう。
棚上げしてみたけれど、よほど動揺してたのか、焦ってたのか、見事に妹猫(多分)の捕獲に失敗し、これでもかというくらい左親指、右人差し指、右腕は流血しまくり...。
怖い思いをさせてごめん、本当にごめん>子猫
右の人差し指は力を入れられない、曲げられないで、捕獲作業にも支障。何やってんだか、私は...(-_-;)

今の私には覚悟も気合も足りてないってことなのかな。確かに余力は少ない感じがするけれど...。
とりあえず、諦めるのはまだ早い>私

樹里は、以前も書いたけれど、一昨年(だったはず...多分。もう記憶の時系列もあやふや...(-_-;))の秋だったか冬だったか、別宅の前を通る道に置き去りにされた。そう、捨てられた。飼い主なのか、餌をやっているだけだったのかは判断のしようがないけれど。
何故分かるか?確かに、遺棄の瞬間は見ていない。けれど、その時私は別宅の敷地から道へ出ようとしていたところで、前後の状況と、そこを通ってすぐに戻っていった中年女性の様子から、そうとしか考えられないから。

別宅の子にする気はなかった。結局ほだされて保護してからも、里親探しを考えていた。
しかし猫砂トイレが使えず、紆余曲折の挙句、蓮くんのお蔭で猫砂トイレを使えるようになった頃には、もう里親探しする気はなくなっていた。
いや、別に情が云々ではなく、疲れてただけ...(^_^;)

蓮が私をソファに寝そべらせて(要求するのですよ、しっかりと、鳴いて)、その胸の上で寝るのを見て、「乗ってもいいんだ」的な理解をしたらしい樹里。蓮が乗ってくると、樹里もやってくる日々。
蓮が逝ってしまい、どうするかと思っていたら、樹里なりに「乗りたいな」と要望視線を送ってくる(笑)
保護直後の猫嫌いも随分前になくなって、お気に入りの場所もいくつもあって、私や叔母への要望も、控えめだけれどちゃんとできる子になった。とてもとてもいい子だ。
-ので、あの中年女性には、こんなにいい子を馬鹿みたいに手放してくれてありがとう、と言いたい。樹里に辛い思いをさせたことはやはりどうあっても許せないけれど。-
なんだけど、実は100%、寛いではなかったのかな、と思ってしまった。こんな姿を今更ながらに見せてくれたから。
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そりゃぁそうだよね、トートバッグに入れられちゃうくらい、相手を信じ切ってた。そこに裏切りなんてあるはずもなかった。樹里にとっては。見知らぬ場所にいきなり置いて行かれて、訳も分からず必死に鳴いていたあの時の樹里を思い出せば、どんだけ傷ついただろう。
ある程度安心して暮らせる場所に今はいるけれど、次から次に新しい猫が入ってくる時あるし、外猫が具合悪ければ一部屋を隔離部屋にして保護しちゃうし、そうやって酷く具合の悪い子がいればその子が中心のスケジュールになっちゃうし、落ち着かない、甘えたいのに甘えられないってことよくあるもんね。
だから、またしてもちょっと反省。手のかからない良い子ほどついつい、こちらも甘えて、後回しにしちゃったり、我慢させちゃったり。

時間に限界はあるけれど、ほんの短い時間でも、その子だけのための時間をちゃんととらないといけない。分かってるつもりなのにできてないのは、結局きちんと理解ってないってこと...。
樹里に、辛いことあったけどうちに来てくれてありがとう、と思ってることも何度も何度も伝えなきゃ。
どの子に対しても。
言葉ではすべては伝わらないし、何より猫にどこまで伝わるか、って話だけど、でも想いを込めた言葉にすることで、ちゃんと気持ちは伝わる。そのために言葉ってあるのだと思うから。

これをUPして、授業のレポート書いたら、忘れずに樹里に伝えよう。
「愛してるよ。うちに来てくれてありがとう。」

別宅外猫のななこ、とーまに続いて昨日息を引き取りました。
既に今年逝ってしまった子達は、ブログには書けていない子も含めると、ななこで4匹目。
自宅外猫のうる、同じく弥助、別宅外猫のくら、同じくななこ。
去年末、姿を見せなくなった、餌やり手伝い先の子、きなこもその直前の体調を考えると、姿を消した直後に逝ってしまっているはず。口内に出来物もあったし、直前も元気にご飯を食べてたけれど、変な場所で香箱作ってたし、普段は必ず近くに置いてもらっている箱で寝起きしていた子だから。

飼い猫達と違って、やはり外猫達はケアの限界が小さくて辛い。
状況によっては、別宅に保護した後に旅立つ子もいるけれど。
ななこは触れない距離にしか近づかない子だったけれど、最近は伸ばせば届きそうなくらいの距離まで来ていた。近所の猫友おじさん曰く「動きが鈍くなってる」と。うーん、3年も経ってやっと慣れてきてくれたかなぁ、と思ってたけど、実はおじさんの言が正しく、ずっと調子が良くなかったってことなのかも。
それとも、最近あったあの事件が...(-_-;) すみません、これに関しては詳しく書けません。とても書けない...。
いずれにせよ、一昨日からななこは別宅の玄関内に。もしかして抱き上げられるんじゃない?もしかして玄関内に入れられるんじゃない?ってな感じで(^_^;)
もう外に出ようとする元気もなかったのか、少しでも落ち着ける場所を求めていたのか...。
2ヶ所作った寝床を両方使いながら、昨日からは1ヶ所からもう動かず、今朝別宅に来た時には冷たくなっていました。
レメディとほんの少しの水とほんの僅かの流動食くらいしか口に入れてあげられなかった。もうあれこれケアするのもしんどさを増させるばかりか、と。何せ、本来近寄れない子だったわけだし...って、言い訳だな。けれど、もう少し体が楽になるようなことをしてあげたかったとは思うものの、ななこにはあれ以上は苦痛、もしくは恐怖になっただろうとも。
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出逢った当時からしばらく、とにかくやたらと食いだめしようとするので、写真でも分かるように、まるで妊娠してるかのよう...(-_-;)
けど、確かこの写真の頃はすでに避妊済み。避妊前からこんな感じではありましたが...。
でも一昨日抱き上げた時のななこの軽さにはびっくり。元来小さな体だったけれど、それでもしばらく前から食べる量が減ってたってことなんだろうな。食べる姿は見ていたから、そこまで気づけなかった。

私の手は小さいな。無くしたくないのに、取りこぼしてしまう。
ごめんね、ななこ。気づけなくて。
最後の時間をうちで過ごしてくれてありがとうね。できるだけ過ごしやすく、と工夫してみたけれど、ななこにとって本当はどうだったんだろう?
もう今はしんどい息でもなく、穏やかに過ごせてるんだろうと思えば、ちょっとほっとする。
いつか触れるようになる、って思ってたのが、あんなふうに実現したのはちょっと悲しい。もっと違うシチュエーションでいつかそうなるって思ってたから。
だから、いつかまた会った時、元気なななこを抱っこしたいよ。その時を楽しみにしてる。

文ちゃん、またね。

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今年は本当に何なんだろう?ついに5匹目、叔母宅の敷地に来る外猫、文太があっという間に逝ってしまいました。先月6日のことでした。
文太を見送って、こうして記事にするまでに時間がかかったのは、何故だろうと自分でも思う。今もよく分かってない。整理がついてないんだよ、と友人は言うけれど、それだけなのかな。
いや、別に、それ以外に何かがあるって思うわけでもないんですが・・・。

微かに呼吸が速いような気がする。たまきくんの前例もある。気になるなら、連れて行けるなら、少しでも早く病院に行こうと思ったのが、1週間程前だったと思う。日にちも曜日も自身の感覚からかなり消えかかった生活をしていて、はっきりとは思い出せない。
いずれにしても、キャリーには入れられたけど、診察は無理でした。キャリーを開けて数瞬、怖さのあまり飛び出した文ちゃんは、診察室中を逃げ回り・・・・・・。
僅かに予想していた展開でもあります。たまきくんは飼い猫だったし、もともとかなり平気な様子で叔母宅にもやってきたし。でも文ちゃんはいわゆるノラらしく、やはり最初は警戒心強かった。
それでも、寄ってくるようにはなっていたし、撫でることもできたので、もしかしたら診察できるかもという期待もあったのです。

多分、もっと早くから体の中で何かが起こっていたのでしょう。当然ながら。
これはまったく叔母や私の推測、というより想像に近い考えですが、癌の類だったのかもしれない、と。叔母がある場所に、こりこりしたものを感じたと。私自身はレメディの投与と強制給餌でいっぱいいっぱいで、そこまで確認してないのですが。そこから先はまさにあっという間でしたから。

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文ちゃん、私、文ちゃんの写真、この時しか撮ってなかったんだね・・・。まだ私の別宅の庭に来ていた頃。
別宅の庭でご飯をあげ始めて、諸々の出来事があって、A叔母宅へ移動して、何とかそこでご飯を食べ続けられて・・・。こりきにはちょっとイヂワルされて、通せんぼされたりもあったけど(^^;)
喧嘩で耳が縮れてしまったし、顔つきもこの頃(2年前)とはずいぶん変わっている。もっとシュッとした顔になったというか、この頃は太ってたというか。けれど、やっぱり文ちゃんだな、って目を見て思う。
毎回毎回、もっと写真を撮っておけば良かったと思うのだけど・・・。

文ちゃんとのエピソードがあまりにも少なくて、だから私の中の文ちゃんへの想いも少ないのかもしれない、と思ってしまう。
文ちゃんを心配し、可愛いと思い、世話してきたことに変わりはないのに、あまりにもあっけない最後の時間が、負い目を感じさせるのかもしれない。そんなふうにあっという間に旅立つ子はこれまでにもいたけれど、文ちゃんとは元気な頃にもまだ距離があったせいかもしれない。心配はしたけど、手のかからない子だったし。それに多分、これからじっくり距離を縮めていけばいい、って呑気に思ってたんだろうな、私は。

文ちゃん、もう少し、お世話させて欲しかったよ。急いで逝くことなかったのに。
今度はゆっくり、ちゃんと待ってて。もう一度会う日まで。

何だか、このブログ、猫達とのお別れ記録になりつつあります・・・。
今年、とうとう飼い猫・外猫を合わせて、4匹目を見送ってしまいました。

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たまきくん、ごめん。
A叔母からたまきくんがあまり食べなくなったと聞いた時、ちゃんと様子を見に行けば良かった。その時点では気づけなかったとしても、もっとこまめにきにしなければいけなかったのに。
続けざまに飼い猫達の体調不良に翻弄されていた私は、外猫にまで気を回せなかった。何でただのわがままで、食べないんだと思い込んだんだろう・・・。
もうそんなこと今さら言っても、何の役にも立ちはしないね。

胸に膿が溜まり始めて、1ヶ月は過ぎてしまったであろう頃、外出した叔母の変わりに餌やりに行った私。何となく息が荒い気がすると気づいたものの、病院で針を使っても抜けず、抗生剤と利尿剤に賭けてみることに。
その後、別宅の一室を看病部屋にし、投薬と強制給餌を開始。途中、投薬が体力へのダメージ以上の効果をあげているとは思えず、ホメオパシーに切り替え。
レメディはたまきくんの助けになっているように見えた。別宅に泊り込んだ叔母の体の上を、夜中乗り越えて移動したり、外や他の部屋の様子を気にしてみたり。暑い日にはきつそうだった息遣いも、穏やかになってみたり。
だから今朝、箱の中に丸くなって入ってる姿を見ても、「そんなふうにして寝れるようになったんだ」と一瞬喜んだのでした。
昨夜、嫌な一瞬はあった。かつて亡くなった子を髣髴とさせる瞬間が。けれど、そんなわけない、まだまだ大丈夫、体力さえ持てばまだたまきくんは頑張っていける、とも。
何がいけなかったんだろう。自分を責める意味ではなく、本当に何故なのか、ただただ知りたい。

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一時はこんなにふくよかだったたまきくん。
実は叔母宅の近所のうちの飼い猫「たま」だったたまきくん。
叔母宅の敷地でご飯食べて、うちの別宅の庭でも寛いでて、寝床は叔母宅のを使ってて、去勢手術も私がして、で、「たま~に」家に帰ってたらしいたまきくん。
正直、名ばかりの飼い主だったおばさんのことはどうでもいい。彼女が人に怪我をさせられたたまきくんを連れ帰ってくれたから出逢えたのだとしても、彼女が外出自由な飼い方をしていなければ・・・と思ってしまう。そうなれば、たまきくんには出逢えなかったけど・・・。
まだまだ若かったであろう子がこうして逝ってしまうのは、より辛い。

たまきくん、力不足でごめん。気づいてあげられなくてごめん。
また元気に走る姿を見たかったよ。そうなるって、思ってたのに。
でももう苦しくないね。思い切り息ができるし、走り回れるし、木にもまた登れる。
たまきくんの助けになれなかった私だけど、いつかまた会う日に、待っててくれるかなぁ・・・・・・。

何だか今回の記事はかなり読み辛いのではないか、と。すみませんm(_ _)m
実は我ながら混乱してるのかもしれません。後悔ばかりというわけではないのです。その時点その時点で、一番と思われる判断をしたとは自分でも思ってます。最初からホメオパシーにしていれば、という気持ちは確かにありますが、それでこの結末が変わったのかは自信ありません。
ただ、恐らくはせいぜい4、5歳の子を、こうして逝かせてしまったということが、かなりショックなのだと・・・。子猫を逝かせてしまったことはありますが、それとはまた別の類のショック。
別宅の飼い猫に、日中外出している子がいる私に言えたことではないのですが、猫を飼うならば、皆さん、完全室内飼いにしてください。外には危険が多過ぎます。外が自由、なんて幻想です。外で生きなければいけない子達はその時間のほとんどを大きな、数多のストレスにされされているのです。
飼い猫を愛しているならば、守れるものからは守ってあげてください。

昨日、別宅(というより、厳密には叔母宅)外猫の、もっぷを埋葬しました。
丸4日以上、姿を見せなかった間に、それなりの覚悟はあったものの、10年もの付き合いで、この1年ほどは、別宅内に何とか入れた方がいいのではないか、と叔母と考えていたほどですから。
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猫が嫌いで、サビらしく強気で、でも甘えたがり。とても小柄で、実は避妊が間に合わず、子猫を持ったこともあります。その子猫達も、私の力不足で、助けることが出来ませんでしたが・・・。
小さくて、けれど存在感のあったもっぷ。
ここ何ヶ月かは口内炎が痛み、食べることに支障が出て、叔母は苦心惨憺してくれていました。蓮や隼人に効果のあった、マザーチンクチャーを何とか飲み水に入れてみたり、好きなシーバをもっぷが気に入る食べ方で1粒1粒与えてみたり・・・。
他の外猫を嫌いなりにも、叔母宅の敷地内を「自分の居場所」としっかり思うようになってきていたのか、それとも叔母が幾分後悔するように「あの頃から調子悪かったから・・・」ということなのか、食べる量は少ないながらも、寛ぐ姿が何度も見れたのは、幸いでした。

もっぷ、待っていてね。また会おう。その時はもっともっとたくさん、撫でさせて。めいっぱい、抱っこさせて。

できるかな~?

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できたみたいですね。
折り畳みのBluetoothキーボードもあるし、これからはアンドロイドでいつでもどこでも、ブログ更新ができるってことか(^-^)
残る問題は、やる気、だな(笑)

親と子

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翌朝(つまり昨日)、「あまね」と名づけた母猫をとりあえず手術に連れて行くため捕獲。
辺りを探すと、子猫もいたので、かなりてこずったものの、何とか捕獲(今度は流血沙汰なし(笑))。
手術を無事に終えた、今朝のあまねさん↓
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「お子達の面倒はしっかりみるから安心しておくれ。そして、ちゃんとしっかりとした里親さんに託すからね!」と約束したのでした。

で、こちらお子達。
昨日の威嚇よりも若干マシになった気もします。
しかし昨日の短毛ちゃんからの威嚇は、短い猫三昧人生の中でも最高に激しくきつい威嚇でした(T_T)
20111129_amane's_kittens.jpg
ぼけ気味ですみませ~ん。2mは離れてないと、こんなふうに姿をきちんと見せてくれることはないので、光学ズーム使いまくりです。
まだ性別すら確認できてないけど、短毛ちゃんの方がちょっと気は強いのかもなぁ。長毛ちゃんは威嚇するけど、比べるとおっとりな感じもする。まぁ、まだ危機感があるだろうから、今見えてるものがそのままキャラだったりするとは思わないけど。
捕獲時からちょっと目が風邪の症状を見せてましたが、今日はいくらか改善。そりゃぁそうだよねぇ、超ぬくぬくなケージにしてるあるから~(^^;)
最近ハイポはよほどの緊急時しか使わず、ホメオパシーレメディ主体なので、環境とレメディ投与で状態改善させてます。病院での検査は必須ですが、すぐには無理っぽい。でも、12月初旬のうちには連れて行けるよう、メンタル部分もレメディで対応中です。

性別確認できないと、名前もつけられないなぁ・・・。
男子ならイケメン俳優シリーズ(サッシーママさんネーミング)、女子なら・・・女子なら・・・どうしよう(^^;)?

固太り!?

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妊娠疑惑のあったななこに続いて、ねねちゃんも怪しいお腹の膨らみ・・・。
が、ななこでも証明されたし、どう観察していても、シーズンに入ってる子は雄も雌もいないので、こちらは安心してました。案の定、妊娠はなし。が・・・
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かかりつけのM先生に「固太り」と言われてしまった「ねね」(^^;)
かなりの量の脂肪があったらしく、「飼い猫じゃないのか?」と・・・。
うーん、違うと思うんですけどね。多分。けど、100%断言はできないですよね・・・。けど単にあちこちでもらってたりするだけのような気も・・・。それに少しづつ寒くなってきてるから、やはり溜め込み傾向に走るのは生物としても仕方ないわけで。
確かに先生の言う、太り過ぎへの心配、も分かるので、その辺は日々様子を見ながら対応するよう、念頭に入れておきます。

さて、この場所での避妊はこれで終了。去勢予定の子が残ってはいますが、とりあえず来週は別の場所、餌やりの手伝いをしてる場所の去勢に着手します。
頑張ろう。猫sにも頑張ってもらおう。

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