2014年11月アーカイブ

写真、どの子もどんどん撮っておかなければと思うのに、突然の出来事に後悔する。
別宅外猫の甲斐くん、気づかぬうちに旅立っていました。
玄関脇の門の外(階段があって、まだそこはうちの敷地)に、横たわっていたのを気づいてくれたのは、たまたま来てた従兄。
一昨日は確かに元気だった。このところずっと痩せてきてはいたけれど、私のそばをすりすりっと通っていき、撫でさせてくれた。
昨日の夕方は姿を見なかったけれど、たまにそういうこともあったので、特に気にしてなかった。ということは、記憶が定かではないけれど、朝も姿を見たはず。でなければ、さすがに「あれ?」とは思う。そういうスタンスにいる子だった。
恐らく、昨夜、というよりももう今日になっていた夜中過ぎ、別宅を私が出る時にはもう...と思うと、それはいたたまれない気持ちになる。気づかなくて、ごめんね、と。
けれど、今の私はこうも思う。
愛嬌のある、ちょっと頓狂とも言えそうな顔で、甲斐くんは「いいんだよ」「楽しかったよ」って。

初めて現れたの時点でもうすっかり成猫だった甲斐くん。
茶雉の長毛で、しっぽがほんのちょっびりで、ふわふわの毛だった。
もちろん最初は近寄らせてくれなかった。けれど、少しづつ、少しづつ、撫でさせてくれて、ついには膝抱っこすることができるようになり、それに調子こいて、素手捕獲をした子。噛まれたけれど...(^_^;)
術後は距離が出逢った頃にまで後退してしまった(・・、)
それから再び、撫でさせてくれるまで時間がかかった。かかったけれど、その分、思いっきり撫でられるようにもなった。敷地内に用意した寝床を使ってくれて、ほとんど敷地周辺から動くこともなく。
そう考えれば、甲斐くんはそこそこの年齢だったのかもしれない。愛嬌のある顔つきが若く見せていただけで。
あぁ、写真がないのが返す返すも残念で寂しい。唯一残っているはずの写真は術後のため、遠目でしか写ってないし。
けれど忘れない。あのふわふわの毛。きっと朧になるだろうけれど、ちょっとお間抜けな感じの愛嬌のある顔を。あるんだかないんだか分からなくなるくらい短かったしっぽを。

あまりに突然の出来事過ぎて、気持ちがついていってないのかもしれない。
でも、悲しいけれど、最近はみんなに「ありがとう」という気持ちが強い。
私のところへ来てくれてありがとう。私のところで旅立ってくれてありがとう。

だから、甲斐くん、いつかまた会おうね。きっと。

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1:00少し前、健人は大好きな祖母とたまの元へ旅立った。
従妹に言われて気づいたけれど、祖母の命日の翌日...。

何故か、未だに泣いていない私。
後悔はある。いつだってある。そしていつもほとんど同じような内容の後悔。「もっと...」と。
けれども叔母には言われた。「やれるだけのことをしてあげられたけんじゃないと?」と。
それはあるかも。この2週間、少しでも健人に食べさせて、体重を戻す。それが目標で、健人の「まだ頑張れる」と言ってるようにしか見えない瞳に後押しされて、ひたすら自宅と別宅を日中余分に一往復し続けた。
正直しんどかった。
でもまだまだ健人といたかったから。

自宅前の溝の中で鳴いてた健人。子猫好きの我が妹犬ルルがそこから離れず、業を煮やした母が捕まえろと命じてきた(笑)子猫。しかし当時保護した子猫すら自宅に入れてくれなかった母。
敷地内での保護、けれどそれを見かねた亡き祖母が「うちの猫にするけん」と。猫好きの母方の祖母は、同じ敷地内の棟続きの家にいたのだけれど、やはり父に気を遣って、決してそんなことを言う人ではなかったのに。
健人が祖母を選んだのだ。だから祖母は健人を迎え入れたのだ。
因みに、健人という名を付けたのは、私と母。
途中諸々あって、祖母宅と私の部屋を行ったり来たりし、祖母亡き後は私の猫に。
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子猫の頃の健人を世話してあげたぎんたは、健人が成猫になると、健人を攻撃するようになってしまった。しかし実は、健人がぎんたに反抗して、生意気を言った挙句に、ぎんたが怒っていたということがネット猫友のアニマルカウンセリングで判明。
悩んだ時期もあったけれど、ぼちぼちやっていくしかないと開き直ってみたら、仲良しにはならなかったものの、それなりに折り合いをつけて、こんなふうに緊張しつつも、近くで寝れるようにもなったり(笑)
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本当は健人って世話好き猫だったと写真を探してて、思い出した。
祖母宅にいたおじいちゃん猫のたまとはとても仲が良かった。たまの毛繕いを、健人はよくしていた。優衣にもしてくれてたことあったんだっけ、と。既に記憶にはないのだけど(^_^;)
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自宅の末っ子、せなとよく遊んでくれたのも健人だったな。ぎんちゃんはもう弟妹の世話には疲れてしまってたし(笑)
そしてよく喋る子だった。「お母さん」と聞こえるような鳴き方をよく私に向ってしてた。実際何と言ってたのかは分からないけれど、これから先も、健人は「お母さん」って私に言ってたんだと思っておこう。

あぁ、こうして思い出してると、やはり寂しくて、ちょっと泣けてしまう。
けれど、穏やかだな。もっともっとと思うのも事実だけれど、最後の2週間、健人の頑張りにそれなりに応えられたつもりだし、日曜月曜は久々にしっかり食べてくれたのも影響してるんだと思う。
最後の2日はシリンジで入れてあげた水にもえづいてしまっていたけれど、それでも最期まで飲もうとしてた。だから、諦め悪いなと思いつつも、本当に最期までシリンジでスープや水を飲ませ続けられた。
こんな状態だからこそ、奇跡が起こらないか、と願って...。
起こらなかったけれど。

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健人、またばあちゃんとたまに逢えたね。良かった。あんなにばあちゃんのこと好きだったもんね。
ばあちゃんがいなくなって、自分の居場所が分からなくなってしまってたよね。だからお母さんは、「私がこれからは健人のお母さん。お母さんがいるところが健人の居場所だよ」と言ったよね?
これからも変わらない。
でもばあちゃんやたまがいるところも健人の居場所。
好きな時に好きなところにいたらいい。お母さんの傍には、いつも健人の居場所があるから。

だから、健人、いってらっしゃい。

見守る

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と言えば、聞こえはいいけれど、それしかできない無力感...
日曜、月曜はあんなにしっかり食べてくれたのに。時間はかかるだろうけれど、これだけ食べられるなら、少しづつ体重も戻していけるんじゃないか、そう思ったのに。
火曜の夕方から、何も口にしなくなった健人。
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そっとしておきたいという思いと、まだ奇跡が起こるんじゃないかという思いが、ぐるぐる...
覚悟はしながらも、最後まで諦めきれないのはどの子も同じ。
けれど、健人は何だか逆転を、奇跡を起こしそうな気もしてしまう。あんなにしっかりした瞳だったから。
でも今はシリンジで飲ませる水にさええづいてしまう。
ぎんた達に夕飯を用意してると、体を起こして振り返る。口をつけてくれはしないかと、缶詰を出してみる。無理。スープをシリンジで飲ませる。1mlも飲んだかどうかのところでやはりえづく。
それでも口に含ませると、飲み込む健人に、諦め切れない思いが湧く。
とても難しい、厳しい状況だとは思えども...

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それでも健人の瞳からは「まだ頑張れる」って想いが伝わってくる気がする。
骨川筋衛門状態で、ちょっとしたことでふらついてしまってるけれど、階段を上り下りし、ロフトベッドに棚を経由しながら登り、ご飯を催促する。
この1週間、朝夕夜に加え、昼間の食餌を1食増やすために、毎日昼間、別宅から自宅に戻っている。
正直、きつい。さすがにしんどくて、土曜日は勉強もできずに久々のうたた寝。うたた寝っていう平和な感じじゃなく、ただ力尽きてただけだけど...(^_^;)
でも、健人が待ってる姿、そして昼間の特別食を催促する姿に、頑張ろう、って思ってしまう。
入院してた伯母もやっと戻ってきて、健人は少し安心したよう。伯母のところでもご飯をもらって食べる。
大量には食べられないし、これまでの時間で失った体重って簡単には戻らないだろうけれど、少しづつでも身になってくれれば...と願わずにはいられない。

さて、来週からも頑張れるからなぁ...。
伯母からもらう分で、昼間の1食にはなってるんだけど、どうも特別食(サーモンだとかハガツオだとか...)を期待して待ってるみたいなのがなぁ...(^_^;)
まぁ、自宅のベランダにちょっとしたDIYをしなきゃいけないから、もう2、3日は昼間、自宅に戻らないといけないだろうけど。別宅の冬支度もあまり進んでないし、悩ましい。
やっぱりコピーロボットとどこでもドアが欲しいと真剣に思う(笑)

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