1:00少し前、健人は大好きな祖母とたまの元へ旅立った。
従妹に言われて気づいたけれど、祖母の命日の翌日...。
何故か、未だに泣いていない私。
後悔はある。いつだってある。そしていつもほとんど同じような内容の後悔。「もっと...」と。
けれども叔母には言われた。「やれるだけのことをしてあげられたけんじゃないと?」と。
それはあるかも。この2週間、少しでも健人に食べさせて、体重を戻す。それが目標で、健人の「まだ頑張れる」と言ってるようにしか見えない瞳に後押しされて、ひたすら自宅と別宅を日中余分に一往復し続けた。
正直しんどかった。
でもまだまだ健人といたかったから。
自宅前の溝の中で鳴いてた健人。子猫好きの我が妹犬ルルがそこから離れず、業を煮やした母が捕まえろと命じてきた(笑)子猫。しかし当時保護した子猫すら自宅に入れてくれなかった母。
敷地内での保護、けれどそれを見かねた亡き祖母が「うちの猫にするけん」と。猫好きの母方の祖母は、同じ敷地内の棟続きの家にいたのだけれど、やはり父に気を遣って、決してそんなことを言う人ではなかったのに。
健人が祖母を選んだのだ。だから祖母は健人を迎え入れたのだ。
因みに、健人という名を付けたのは、私と母。
途中諸々あって、祖母宅と私の部屋を行ったり来たりし、祖母亡き後は私の猫に。
子猫の頃の健人を世話してあげたぎんたは、健人が成猫になると、健人を攻撃するようになってしまった。しかし実は、健人がぎんたに反抗して、生意気を言った挙句に、ぎんたが怒っていたということがネット猫友のアニマルカウンセリングで判明。
悩んだ時期もあったけれど、ぼちぼちやっていくしかないと開き直ってみたら、仲良しにはならなかったものの、それなりに折り合いをつけて、こんなふうに緊張しつつも、近くで寝れるようにもなったり(笑)
本当は健人って世話好き猫だったと写真を探してて、思い出した。
祖母宅にいたおじいちゃん猫のたまとはとても仲が良かった。たまの毛繕いを、健人はよくしていた。優衣にもしてくれてたことあったんだっけ、と。既に記憶にはないのだけど(^_^;)
自宅の末っ子、せなとよく遊んでくれたのも健人だったな。ぎんちゃんはもう弟妹の世話には疲れてしまってたし(笑)
そしてよく喋る子だった。「お母さん」と聞こえるような鳴き方をよく私に向ってしてた。実際何と言ってたのかは分からないけれど、これから先も、健人は「お母さん」って私に言ってたんだと思っておこう。
あぁ、こうして思い出してると、やはり寂しくて、ちょっと泣けてしまう。
けれど、穏やかだな。もっともっとと思うのも事実だけれど、最後の2週間、健人の頑張りにそれなりに応えられたつもりだし、日曜月曜は久々にしっかり食べてくれたのも影響してるんだと思う。
最後の2日はシリンジで入れてあげた水にもえづいてしまっていたけれど、それでも最期まで飲もうとしてた。だから、諦め悪いなと思いつつも、本当に最期までシリンジでスープや水を飲ませ続けられた。
こんな状態だからこそ、奇跡が起こらないか、と願って...。
起こらなかったけれど。
健人、またばあちゃんとたまに逢えたね。良かった。あんなにばあちゃんのこと好きだったもんね。
ばあちゃんがいなくなって、自分の居場所が分からなくなってしまってたよね。だからお母さんは、「私がこれからは健人のお母さん。お母さんがいるところが健人の居場所だよ」と言ったよね?
これからも変わらない。
でもばあちゃんやたまがいるところも健人の居場所。
好きな時に好きなところにいたらいい。お母さんの傍には、いつも健人の居場所があるから。
だから、健人、いってらっしゃい。
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