2014年9月アーカイブ

20050406_rugi.jpg
既に成猫になりきっていた瑠儀と出逢ってから、14年3か月。
6年ほど前には行方不明騒ぎもあり、けれど奇跡的に再会し、外猫から日中のみ外出自由の別宅飼い猫へとなり、昨夜友人と私の見守る中、猫生を終えました。

まだ別宅はなく、父の事務所を手伝っていた頃、事務所の前を通り過ぎる瑠儀とふと目が合ってしまったあの日。自宅飼い猫のぎんたの瞳ととてもよく似ていたあの瞳に惹かれて、私の本格的な餌やり人生が始まったのでした。
2001_rugiruru.jpg
亡き我が妹犬のルルとも仲良く、亡き父にも、一緒に働いていた従弟叔父にも可愛がられ、近所の猫友おじさんを始め私の既知未知のご近所さん達にも愛されていた瑠儀。その穏やかな性格と一時はひたすら食べまくったためにぽっこりになってしまったお腹のために、よく妊娠した雌猫なんだと勘違いされてました(^_^;)
ある冬の日、2、3日姿を見せなかった後に、前足を血だらけにしてやってきた時のショックと言ったら...(-_-;) 何をどうしてか分からないのですが、親指に当たるところをざっくり切っていて、肉も見えてました。その後遺症で瑠儀はその部分の爪は出し入れできないままに。当時治療後、しばらくは外に出さないようにとかかりつけ医に言われ(外猫だって知ってるのに、中々無茶を言う先生なのです(^_^;) 治療するなら責任持て、というのが恐らく自論)、事務所に泊めることに。初めてのことなので、事務所内で無茶をしないよう私も泊まり込み。
20051225_rugi.jpg

20050326_rugi.jpg
コピー機の上が大好きで、怪我した直後に来た時も確かそこに上っていったなぁ。メーカーさんとか聞いたら嫌がられそうだけど(^_^;)
節分の豆によくついてるオマケのあれとかでこんなことされても、嫌がりはしても怒らない、そんな子でした。
20050410_rugi.jpg
2000_rugi.jpg

亡き蓮くんは瑠儀が大大大大大好きで、けれど瑠儀はそんな蓮に「寄るな!」と耳や頭をかぷり。それでも瑠儀兄ちゃんが大好きな蓮は、毎回毎回めげずに瑠儀のそばに寄り添おうとするのです(^_^;) 今頃はまた会えた瑠儀に大喜びかも。旅立つ瑠儀に「今度は遊んであげてね」とも囁いたけれど、さて、どうなっていることかなぁ。
20130219_rugiren.jpg

年齢的にも最近の衰え方にも、覚悟を促されてはいたものの、あまりに急なことで、実感が伴っていないのか、直後に涙ぐんだだけで、きちんと泣けてません。友人がそばにいたからか(基本的に人がいると身内であっても、悲しみを出せない性質です)、0ではないものの後悔が本当に少ないと感じているのか、急なことに麻痺しているだけなのか...。
寂しさはとてもあります。ホル亡き後、唯一日中自由に外出させていた猫なので、夕方のお迎えが日課で、瑠儀もそれを楽しみに外出している節もあり(^_^;)、今、夕方の時間をまったく気にしなくていいようになったのは、何となく落ち着きません。今もすぐそばにいたり、玄関前でご飯を待ってたり、いつものあの場所で私が迎えに来るのを待ってるかも(想像したらやっと泣けてきました(笑))と、思えます。

悲しい、寂しい、でもいっぱいいっぱいありがとうね、瑠儀。
そっか、たくさんのありがとうがあるから、悲しい涙があまり出てこないのかも。それだけ長い時間を過ごしたもんね。
大好きだった。いや、これからも愛してる、瑠儀。
今ここに私がいるのも、別宅があり、そこにりょう達がいるのも、外に陸奥達がいるのも、すべて瑠儀がきっかけ、始まり。だから、こうしている限り、瑠儀とお母さんはいつまでも一緒だね。

事務所時代からの子はこれで、叔母宅の外猫となっているはるちゃんだけになりました。何故か、年上の瑠儀がはるちゃんより後に旅立つものと思い込んでいたのですが...。
けれどやはり瑠儀の存在は大きな大きなもので、一つの区切りがついてしまったのだなぁ、と。
まだまだはるちゃんも、自宅飼い猫のぎんたも健人も、自宅別宅それぞれの外猫の中にも衰えの見える子達が複数いるので、毎日に区切りはつかないんですけどね...。

自宅別宅併せて、ただ1匹、日中だけとはいえ、外出自由だった別宅飼い猫の瑠儀を、今朝から外出禁止にしました。
推測される年齢は15歳以上の瑠儀。
最近段々とはっきりとした老いが見え、体調も波があったりもして気にはしてました。それなりのケアも。昨日の朝までは体調はぼちぼち、けれども食欲はがっつり...だったのに...。
「いい加減外出させないようにしたい...」と思っていたら、いきなり「いや、これは外出させられない」という様相に...。
20140913_rugi.jpg
正直、明日明後日どうなっていてもおかしくないとも感じます。
こんなふうに横向きになって寝てる姿が救いではあるものの、排便がコントロールできず、朝食べたものも1時間前に胃液と共に吐き出してしまい、何をどこまでしてやるべきなのか、毎度のことながら悩みます。
今の状態では、病院という選択肢はないな、とは思えども...。
どっちに転んでも、とにかく今の瑠儀のしんどさが少しでも軽くなるように、それを第一に考えなければ...。

手術&餌やり協力しているとこの猫さん。
ネーミングにも全面協力(笑) 放っておくと名前つけないままなので、「しっぽの長い去年子猫だった黒猫」とか、「雉白のちょっと厚かましい猫」とか、そんな呼び方になって面倒くさいことになるので...(^_^;)

で、しっぽの長い去年子猫だった黒猫くんの「やた」。
20140908_yata.jpg
分かる人はもう分かりましたね(^_^;) 由来。
黒い→カラス→八咫烏→やた
こういう可能な限り、分かりやすい連想でないと、覚えてもらえないのです~。クロ、くろじ、くろっち、みくろ、と黒猫からすぐつけられる名前は私が自宅や別宅の外猫で使ってしまってるので、苦労しました(笑)
で、やたくん、先週去勢を済ませました。耳カット...のはずが、些細な手違いが連なって、耳カットなしになってしまいました(-_-;)
まぁ、男の子だから、見る人が見れば、去勢済みということは分かってもらえる...けど、諸々安全のためにも耳カット欲しかったけど、今さらです。それに、2、3年前までは耳カットも耳ピアスも、積極的に肯定するのは躊躇われて、実行していなかったので、自宅・別宅の外猫達もここの猫達も、耳カットしてる子してない子が混在なんですけどね。

次の子の時は(まだ常連が5匹はいるし、シーズンには越境してくる子達もいるから...(-_-;))、手違いのないようにしないとなぁ。特に雌の場合は見た目じゃ絶対分からないし。
とにもかくにも、秋のシーズンが来る前にちゃちゃっと頑張らねば...(・・、)

翻弄される日々

| コメント(0) | トラックバック(0)

健人を病院へ連れて行き、血液検査をしてもらいました。肝臓腎臓が気になって。
ついでにFeLVとFIVも。
結果は、FeLV・FIVは陰性。腎臓は問題ないけど、肝臓の数値がちょっと高めかな、と。
考えた末、先生からの提案の一つ、インターフェロンを複数回注射することに。
「3連チャンを2週、週1を2週。これで1クール。」の注射。
3連チャンの2週目に入った先週木曜日、その帰宅時に事件は起きました(-_-;)
病院帰りに母を迎えに行き、母は車中で健人のキャリーのファスナーの一つを開けて、健人とスキンシップ...そして、ファスナーの開いたまま車外に出されたキャリー...
荷物を持つために、いったんキャリーを外階段に置いた僅かの隙に、当然健人脱走......。
いつもなら、いつもの場所にいて、私や母が呼べば返事をする健人。返事はするのです、毎回。
しかし3日目経っても、うんともすんとも言ってくれない健人。
ついに根負けして、「健人、もう病院には連れて行かない。行かなくていいから、帰っておいで」と呼びかけてみました。それが昼過ぎ。
そして夕方、母に姿を見せ、9時過ぎ、迎えに行く間もなく、帰ってきました...(-_-;)
20140906_kento.jpg
何だかね~、こちらの心配をよそに、随分すっきり、穏やかな顔つきになってるんですよね...。この写真では分かりにくいですが。
ともかく、猫との約束は破ってはいけない、がルールなので、今後は何があってもホメオパシー一本でいかなければなりません。気持ち的にはもともとそうしたかったのだけれど、経緯を考えると複雑...。
ま、今後はどんだけ嫌がってもレメディはがっつり飲ませる!という覚悟もできたのでいいかな。
嫌がることでも、それがその時のその子にとって必要なことならやるんです!約束は破れないけど(笑)

はぁ。
本当に疲れた3日間でした。ふらふらでした(^_^;)

月別 アーカイブ

このアーカイブについて

このページには、2014年9月に書かれた記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2014年8月です。

次のアーカイブは2014年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。