3年目、になるのかな?鉢植えで買ってすぐ、いきなり大き目の鉢に鉢換えをしてしまったものだから、育つには育つけど、中々花が咲かなかった我が家の金木犀。水遣りの際も時には話しかけたり撫でてみたり・・・(^^;)
今朝、花を見た時、自分の目に映っているものが暫く理解できなかったほど。自分が育てたり、世話をした花木が花を咲かせたり、実を付けたりするのはとても嬉しい。それが中でも大好きな花で、しかしながら中々咲かなかったとなれば尚更。
素晴らしい虹を見たり、念願の金木犀が咲いたり、嬉しいことが続く(^-^)
犬のものか猫のものか、分からないままだが、今朝は無かった。正直、嬉しい。
結構ストレスになり始めていたのだ。もう!?、だけど(^^;)。
例えばこれが猫のものだろうが、犬のものだろうが関係なく、家や飼い主のない、いわゆるのら猫というのは、町の問題として考えなければならない。私という存在があるがために、そこに押し付けてお終いにできる人間がいる、と考えると無性に腹が立つ。
私はこれが猫達(瑠儀達以外の猫も)のものじゃないとはっきりしない限り、もしくは猫達がしているなら、それを別の場所へ誘導するなり何なりしてしまうまで、掃除し続けるだろう。それはそれでいい。
けれど、私がいなくても、猫達は存在し続け、生きているからにはゴミ捨て場を漁ってでも生きていくし、それは人間と同じように排泄だって続ける。もちろん人間以上に自然の摂理に従って、繁殖もするのだ。
今回たまたまこういう状態なだけで、うんち拾いをしていると、他の近所のおじさんおばさんは大概「自分とこの掃除は自分でできるからいいよ」と快く言ってくれる。外着に着替えて外出するのに、腰が弱いと言っていたことを百歩譲って認めたとしても、猫避け(嫌な言葉だ)になるからと言って話したことを一つも実行してくれないのでは、こちらのストレスも増すと言うものだ。
しかし書いていて虚しい。自分が卑しく感じる。そう感じられるようになったということは、ここに書くことでストレスが減ったということだろう。ここまで読んでくれて、不快になった方がいたらごめんなさい。
瑠儀とホルをそれぞれじゃらす。ホルが箱に入り込んで、遊んで欲しそうなのでじゃらしていると、瑠儀が離れた場所でじっと見ている(^^;)。暫くして、瑠儀をじゃらしていると、箱から出たホルがそばまで来てじっと見ている(^^;)。またホルのところへ戻る。瑠儀がじゃらすのに使っていた紐を加えて姿を見せる(^^;)。ついに叔母にHELP!!瑠儀の相手をしてもらう。おいおい、こんな事務所でいいのか?と思われちゃうだろうが、まぁいいのだ。仕事優先にしなければならない時はちゃんとやってるから(^-^)
久々に賢いけど、甘ったれなもっぷを長めに撫で撫で。撫で撫でが大好きなもっぷは撫でられながら、地面を涎で濡らす。ついでに自分の毛皮も私の服や手も濡らしてくれる。ぎんたより凄いのだった(^^;)。しかし可愛い♪