名前は「ゆい」

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平仮名のままにするか、漢字をあてるか、は迷っているのだけど、紗美にあやかって漢字をあてることには決めた。どんな字をあてるかな。ここまで考えても、里親探しを念頭から消去できない状況であることは辛い。何とかうちの子に迎えられないものか。それもあって、紗美にあやかろうと思ったわけだが・・・。
ゆいは、薬が効いてきたようで、昨日よりもトイレに入る回数が減った。昨日のように、寝ていても頻繁に便意に起こされることがないので、よく眠れているようだ。午前中は少しの間だけだが、アルミ箔のボールで玉取りもしていた。

あまり目の離せないゆいのことを、叔母に頼んで、図書館とその他の用事を済ませに外出。一応、今日は会社の隔週休の日。現場仕事も入っているので、おとんもYさんも出てきているし、叔母も私が外出したいことを知っていて出てきてくれているので、全然普段と変わらない状態の事務所になってしまった(^^;)。
市の中心地と言えるアーケード街とその周辺では、YOSAKOI祭りが行われていた。全然忘れていた。これって、地域振興や参加する人達(踊る方も見る方も)の意識の高揚という点では素晴らしい行事だと思うのだが、いかんせん、私は家の無い猫達を中心にものを考えるので(生きることそのものが関わってくる方が優先順位は高いと考える)、「慣れてる子もいれば、酷く怯えてる子もいるだろう」思うと、辛い。折角の上天気に、お気に入りの場所にいれない子達もいるだろう。朝晩冷え込むこの時期、昼間の日光浴はささやかな楽しみの一つのはずだ。
そしてちょっと気に入らない点がもう一つ。決められたスペースからはみ出して踊るやつ、歩いての移動中に周囲に気を配らない、つまり余所見をしていてぶつかるやつがいること。それってつまり、自分達のことしか考えてないということではないか?前述したように、素晴らしい行事であると思う。だからこそ、それを免罪符のようにしたり、思ったりは意識・無意識に関わらず、してはいけないと思う。
広い範囲を移動し、踊って回る以上、周囲にいるのが参加者(くどいようだが、踊る方も見る方も、もちろん運営に関わる人間も)だけとは限らないのだから。
決してYOSAKOIや祭りといった類のものを否定的に考えてるんじゃない。どちらかと言えば好きだし。ただ、今の私はそちら側ではないスタンスにいるから、こういうことも見えてしまうし、考えてしまうのだと思う。それぞれのチームの年齢層の広さ、その広さに関わらず、チームが一丸となっている素晴らしさ、中でも子供達、少年少女達のいきいきとした笑顔は、こんな時代にあって、とても救われる想いがするくらいだ。だからこそ、余計に違う立場、ここで言えば参加していない人達の側のことも考えられるようであって欲しい。周りの大人はそういうことを示さねばいけないよ。
ま、自分にも言い聞かせていることなんだけど。「子供達に胸を張れる大人か?」ってね。

やっとベランダを片付けた。脱走防止用のラティスも復元。ラティスがない分は無事だったすだれで対応。プランター等も所定の位置に戻せた。足元を吹き掃除もしたいが、これはちょっと延期(^^;)。私にしては、今日は色んなことをまとめてやり過ぎた気がする。めちゃめちゃ心地良いだるさに、もう負けそうだ。

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このページは、柿ママが2004年10月23日 22:44に書いた記事です。

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