もともとね、マーキングやしっこ抗議してるのは、りょうくんだけじゃないとは思ってるよ。
うん、本当に、そう思ってる。
けど、やはり5割から6割はりょうくんのじゃないかなぁ、とも思ってるわけで...(^_^;)
外猫達が庭をうろうろしてるのが気に入らないんだよね?威嚇したりすることはほぼないけど、気にしてずーっと縁側やら窓辺やらをパトロールして回ってるもんね。
りょうくんみたいな性格の子には、申し訳ない環境だろうなとも思うけど、こればかりは致し方ない。
お母さんは外の子も放っておけないのよ。
だからぐすり寝てるりょうくんを見てると、色んな意味でほっとするのだよ(笑)
++猫な日々++の最近の記事
胃腸の調子がダウンしてるような気はしていた。最近、冷たい麦茶やウーロン茶ばかり飲んでいるせいかな、とそれほど気には留めなかった。
が、それはどうやら風邪の初期症状だったらしい(-_-;)。夕方、身体がだるくなり、しまじ達の夕食を給餌し終わる頃には熱が出始めていた。けれど、まだ額にはそれほどの熱を感じない。口の中などの身体の内側に感じる程度。
熱いお茶にプロポリスを数滴垂らし、2、3度間を空けて飲み干す。胃の中が温まったせいか、気分が楽になった。夕飯時には出なかった食欲も9時過ぎ、少し感じるようになった。レトルトのおかゆくらいなら大丈夫だろうと胃に入れてみる。入れるものを間違えると胃腸が大変な目に遭うからね…。
これで一晩しっかり眠れば、ほとんど回復するんじゃないかな。してもらわないと困る。
湿度が増していき、いつまとまった降りがあってもおかしくない状態。さっさと降って欲しいくらいの空気の纏わりつき具合(>_<)
とはいえ、いきなりあんな土砂降りも・・・。人間なんかより動物の方が敏感だから、とっとと雨を避けられる場所に避難しているだろうけれど、避難してさえも濡れる場所に暮らす子もいるだろう。だから余計に、「こんなんなるまで我慢せんと、とっとと少しづつ降らせときゃぁええねん!!(-_-メ)」と空に一人ごちてしまう。
もっぷが食餌に来ず、はるちゃんも夕方の食餌には来なかった。後は皆いつも通り。
自宅では帰り着いた頃には土砂降りは治まっていた。それでも直前までのその雨で、痩せ雉(いい加減名前つけてやれよ>私(^^;))は姿を見せず、チロも同じく。こちびは・・・こちらの気配がする間は隠れてるから仕方ない。しまじとサヴァにいつも通り食べさせ、今日は後回しにしたきり達の食餌用意に戻った。
健人は昼間、ぎんたと紗美に追い詰められていたそうだ(-_-;)。紗美のは多分、つい雰囲気に乗ってしまったんだろうと思う。普段、結構一緒にじゃれあっているのだ。
健人の悲鳴に似た唸りは、きっとぎんたの闘争本能(ま、そこまではいかないか)を煽るのだろうな。それがなければ、わざと近くに行ったり、じっと見つめたりはしても、その位置や状態をキープしているのだ。しかし健人がぎんたを恐がって、つい悲鳴のような唸りを上げるのも致し方ない。とはいえ、2人の距離が十分以上離れている時、それでも健人にはぎんたの姿が視界に入ると案の定唸りが始まるのだが、暫く宥めた後つい「うるさい!」と言うと、ぴたりと唸りが止まるのだ(^^;)。案外、周囲の人間の反応が健人の過剰な唸り声を生んでいるのかもしれないとも思う。
しかし、昨夜はそれがほとんどなかった。朝方も、悲鳴のような唸りではなく、いつもの何かを要求する「あうあうっ」という鳴き声で起こされたのだ。これはベランダに出たけれど、出入りするルート上にやはりぎんたがいて(^^;)、戻れない、と呼んだものらしい。
そんな一晩だったので、ほのかに希望が・・・とあまり期待し過ぎないようにしようと思いつつ、期待してしうのであった。
起こされている。もちろん健人がぎんたに脅されているのだ。でもぎんたは一声も発しない。ただ少し離れたところでじっと見つめる。少し近付く。もっと近付く。健人の悲鳴はどんどん大きくなっていく・・・。
6時にはその声で一度起こされる。今朝は2度。そして外でしまじと痩せ雉が同じように唸り合い。ベランダから「しまじ、やめなさい!!」と低い声で叱る。多分人間だったら聞こえないだろうくらいの声。さすがに周囲の家が気になって早朝から大声は出せない(>_<)。しかししまじはその声が聞こえたかの如く、渋々向きを変え始める。最終的に我が家の車庫の辺りに来るまで見守って、再度寝る。
と、今度は6:30頃に紗美が「開けて~、入れて~」とドアを手で掻く。爪は出していないものの、肉球を押し当てているので、最後の最後で爪が軽く当たって、しゃかしゃかという音に聞こえる。
多分、時間的には6時間は寝ているはずだから、睡眠不足なんておかしいのかもしれないけれど、寝入り端と起きる少し前に起こされるのは、結構負担のようだ。
一日、いつもの洗濯に、タオルケット2枚・敷布1枚をプラスしたらほぼ一日洗濯していることになってしまった。私のお気に入りのバイオ洗剤「とれるNo.1」は、漬け置き時間がいるのだ。けれどこれで汚れも綺麗になるし、濯ぎはもちろん1回、溜め濯ぎでOK。その上、干した後はふかふか。
漬け置き時間などを利用して、掃除機がけと拭き掃除。拭き掃除をすると、屋内が掃除前よりも涼しく感じる。汗だくになりながらする掃除は、大変だけど、気持ち良い。洗濯機が2層式なので、途中途中で何度か階下に下りるため、中断されるのがちと辛いが・・・(^^;)
一日中体を動かしていたからか、ふと気付くと、ここ数日頭を、というか、気持ちを悩ませていた問題を綺麗に忘れていたことに気付いた。消えてしまったわけではないけれど、何だかそうそう思い煩うのは、しようもないことのように思えた。どうせまた思い煩ってしまうことだろうけれども(^^;)、実はそんな大層な問題ではないのだ、と認識し直せただけでも良かった。
一気に抜けたらしい(^^;)。暑中見舞いハガキ、約1100枚も無事投函終了。後は7日の立秋までに仕事をさせてもらったお客さんにも出すことにはなるだろうけれど、とにかく終わった。
昨日、近所のお宅のお孫さん:Kくんも帰ってしまった。
そして明日で7月も終わり。早いものである。
チロは毎日毎日、こちび(チロに話しかける時には「こちびはどこ?」などと言っているのだ。このまま名前になるのは避けたいが・・・(^^;))を連れて来ようと頑張っている。
しかし中々・・・。そして暫くして諦めると、下の空き地に降りていって、こちびの遊び相手を務めるのだ。今日は長いこと、その様子を眺めさせてもらった。チロはしまじ達より小柄なので、幼さを感じるのだが(でも立派な成猫)、こちびと一緒にいるとやはりでかい(^^;)。当然だが。
猫達とは関係ない自分自身の悩みに、気持ちが振り回されている。生きていく上で、それだって必要なことかもしれないが、少なくとも今の私には邪魔に感じられる。とはいえ、結局切り離せないのも正直な気持ち。自分自身のこととなると途端にへたれになる。あ、それだけじゃないか、私がへたれになるのは・・・(-_-;)
感情に振り回されず、コントロールできるヴァルカン人(スタトレ知らないと分からないだろうな・・・(^^;))になりたいと思ってしまう、結構マジで。
自分の気持ちに振り回される、これってかなり問題。感情を持つのが、ではなくて、振り回されるのが、ね・・・・・・。
最近1階の居間で、おとん、おかん、ルル、紗美と一緒に寝ていた健人。夜の間だけでもトイレを下に置かないと、2階の私の部屋のはもちろん、階段上のトイレも使えないだろう(ぎんたが恐くて行けないから)と思っていたら・・・・・・
健人なりに考えたのだと思う。下に敷いている私達の座布団ではなく、きりや紗美が好んで寛ぐ、箱の上の座布団にたっぷりとおしっこをしていたそうだ(-_-;)。思った時が行動の時、それを実行してさえいたらね。
座布団には最近お気に入りのバイオ洗剤(微生物の力で汚れを落とすのだ)をたっぷり沁み込ませて出勤する。含んだおしっこもそのままにしてしまったので、帰宅時は匂いが風呂場に篭って大変だったが、洗い流し、再度バイオ洗剤「とれるNo.1」を沁み込ませ、洗い流す。
健人はご飯が欲しい時もトイレに行きたい時も鳴く。ぎんたへの恐怖で自由に2階へ、そして必要な場所へ行けないので、訴えているのだ。しかしこのお蔭で、おかんもおとんも何度も夜中起こされていたらしい。何も言われないので、問題なく朝まで過ごしているのだと思い込んでいた私の失策だ。何より健人を一番に考えたいのに、私だけの問題でないがゆえに健人に我慢を強いることになってしまう。しかし致し方ない。健人にはまた2階で寝てもらうことにする。健人に噛み付かれながら(本猫、本気ではないのだけれど、何せ噛み付きの力が強いので痛い(;_;))、また今夜から2階で寝るのだよ、と言い聞かせる。ぎんたが苛めに行けないように工夫するからね、と約束して。
そのせいだったのだろうか、久々に自分で2階に上がって来た!!もちろん直後にまたもぎんたが嫌がらせのように近くまで行き、健人は悲鳴をあげていたが・・・(-_-;)。ぎんたのこの行動にも、健人の過敏な反応にも困ったものだ。ま、見守っていくしかないよね。
健人をロフトベッドにあげ、そこと本棚へは他に誰も上がれないように布団を積み上げたり、ダンボールで塞いでおく。トイレは既にセットしているので、ご飯と水も用意する。朝まで健人も降りられないことになるが、少なくともぎんたが来ないことがはっきり分かれば、朝まで寛ぐことはできるだろう。
叔母が暫く前から考えていた、事務所の一角にタイル敷きを実行した。一角とはルルがよく寝ている場所。少しでも涼しく過ごさせたいという、ルルばかな叔母の愛情(^^;)。余分にタイルを買って、もどきや瑠儀がよく寝転がっている場所にも敷いてくれたのには感謝。そんなふうに、ルルと同じとは言えないまでも、近いくらいの愛情を示してくれる(もちろんルルが最優先だが)とは、以前は想像もしなかった。
早速瑠儀はそのひんやり感を堪能していた↓(^-^)。奥に転がっている広告用紙の筒は、瑠儀のお気に入りのおもちゃ(^^;)
助は昨日と同じ。首輪もそのまま。食餌も混ざっているドライも綺麗に食べてしまった。やはり飼い主が病院へ行き、ステロイドなりを打ったということなのだろうか?もしそうだとしても、プロポリスが効いて、接種回数が減ってくれればいい。
おばあが、今日はチロが子猫を連れてきたと言っていた。そうとは知らず、チロが来たので顔を出したら、子猫が驚いて、脱兎の如く逃げて行ったそうだ(^^;)。その時のチロの様子が想像できるだけにちょっとおかしい。きっとチロは一生懸命子猫をここまで連れて来たのだろう。最近特にそういう行動が見られる。なのに、子猫が戻って行ってしまったので、ちょっと途方にくれている姿が、想像できる。
でも、まぁ、とにかく進展しているわけだ。チロ、頑張ってくれてるね。偉いよ。ありがとう(^-^)
あっちで問題、こっちで問題、でも良いこともこうしてある。問題がどれだけあろうとも、猫達から与えられる幸せや喜びはそれを遥かに上回るのだ。
私の人生から、猫だけは決して切り離せない。
助が来た。ゴム首輪はつけたまま。でもそれだけ。
ホルのように返事があればいいとは期待しながらも、ないことも予想範囲内ではあった。しかしこれからどうしたものか。こちらの手紙が届いたのか、いやそれより、本当に届ける相手がいるのかもこちらには分からない。
缶詰にちょっとのドライとプロポリスの希釈液を多めに混ぜて出す。この数日と同じように一瞬引く気配を見せたが、その後は以前のように食べていた。少し残していたが。ついでに直接希釈液を飲ませてもみた。とにかくやれることをやるしかない。口内炎や歯肉炎がこのプロポリスで改善されたという話はいくつも聞いている。効くことを信じて、とにかく飲ませ続ける。だから、ちゃんと毎日おいで、助。
チロは子猫を何とか、おばあのところへ連れて来たいと思っているかのようだ。そう、いずれ置き餌スペースに入り込むのは、子猫自身(その時はもう子猫じゃないな)にさえ難しくなる。そしておばあのところに慣れるまでに、ドライに慣れるようにもなってくれないと・・・。
サヴァは肉付きがイマイチだが、体重は重くなっているようだ。しまじにしばかれて、萎縮しているサヴァを抱えて移動する度に、痩せて見えるけれど、半強制給餌をしていた頃よりも格段に重さがある。鼻は未だぐずつくが、これもプロポリスの希釈液を与え続ける。こちらの改善話もちゃんとあるのだから。
帰宅すると、紗美が獲物を咥えて待っていた・・・(-_-;)。中々迎えに出てこないと思ったら・・・・・・。でっかいオニヤンマ?既にご臨終で、それをおもちゃにしていた紗美。可哀想じゃないか!!あんたの何十分の一くらいの期間しか生きられないんだぞ!?>紗美
脱走防止策はしてあるとはいえ、ベランダと部屋を自由に出入りできるようにしている私も悪いんだな。オニヤンマくんに合掌。ごめんね、オニヤンマくん。
少し雨が降ってくれないだろうか。できればまとまった雨で(あんまり土砂降りは嫌だけど)、気温が下がってくれたりすると嬉しい。そうでなくても、湿度がもっと落ちてくれれば随分違うだろうに・・・。
&
助は現れなかった。まぁ、これまでにも来たり来なかったりという繰り返しはあったので、それと同じかもしれない。ただここ数日、はっきり食いつきに変化が出始めてからは、欠かさず来ていたので、やはり手紙が導いた結果なのかとも思う。
分からない。手紙を読んでもらえたかどうか、読んだとしてもどう行動するのか。最悪のことを考えたりもする。信じられない飼い方をした挙句、中に犬を入れ犬小屋ごと捨てる外道もいる。何年も猫を外に繋ぎっ放しで失明させたくずもいる。その子達はその辛い経験以上の幸せを掴んだ。けれどそういう人として認めたくないような人間がいるのも確か。
助は少なくとも、普通に可愛がられていると思う。普段の反応を見ていてそう思う。けれどそういう普通に可愛がっている人達が、病気が分かった途端に・・・・・・ということもあるのだ。
いかん、どれもこれも悪い方に考えてしまう。期待して裏切られたくないからなのだけど、悪い思考は悪い現実を連れて来もするのだ。良い方に考えられないなら、今は何も考えない方がいい。
クロは暑いだろうな。とその毛皮を見る度に思う。しかし生まれてからずっとそうなのだから、私が思うほどには感じてないのかも。けれどやはり日中は以前より事務所周りをうろうろしなくなった。裏手の木陰、どこかの床下等々、ゆっくり過ごしているのだろう。この写真の時間には少し涼しく感じられる風が吹き、日陰だとじっと寛いでいればそのまま何時間かはいられそうだな、と思える程度になっていた。もどきも近くで寛いでいた。近付いて来たクロにしっかり威嚇してたけど(^^;)
少し離れたところにはホルがごろごろ。コンクリの壁を利用して、仰向けに寝ている。ホルは支えがないと仰向けにはなれない。骨だか、間接だかの作りの違いらしい。仰向けに寝れる子寝れない子の違いは。
やっと暑中見舞いハガキの終了目処がついた。
3種類の写真を使いたかったのだけれど、中々決まらなかった。去年は槿と朝顔。今年は向日葵、仏桑華(ハイビスカス)、芙蓉にしたかったのだが、仏桑華と芙蓉のいい写真が中々撮れなかった。諦めて、今年も槿と朝顔を撮ったのだが、仏桑華の代わりに紅葉葵を撮ることにした。真昼間に、汗だくになりながら件の花が咲いている場所まで行き、数枚を撮影。ハガキに使ったものの全体写真がこれ。
丁度前を歩いていたおじいさんに「綺麗かねぇ。何ていう花やろうか?」と問われた。「多分(多分もないもんだが(^^;))紅葉葵と思います。葉っぱが紅葉の葉に似とるけん、そういう名前って聞いたことのあるです」
私は実はとっても人見知りというか、知らない人と出逢うのが苦手だ。けれど、こういう人と人とのとってもシンプルな交流の瞬間に感じられるものが好きでもある。だから、汗だくになりながらも良い写真は撮れたし、おじいさんに花の名を伝えられたし、その甲斐があったな、と感じた。
そして出来上がった3枚目の紅葉葵のハガキ。これで印刷さえ済めば完了だ。向日葵、槿、紅葉葵。それらの花々が、我が社から、お世話になっているお客様、関連他社さんへの夏のご挨拶を運んでくれる。
助を、昼から来て丁度帰ろうとしていたSが病院へ連れて行ってくれた。と、今日は一人留守番ではないので、もちろん私も一緒。
結果、助は歯肉炎と口内炎を併発していた。歯垢がついて歯周病になっているわけでもなく、年齢的にも若い(せいぜい4、5歳だと思うのだが)ことから、その根っこにはFIVやFeLVの可能性もあると言われた。歯肉炎と口内炎と言われた時に、私の頭に浮かんだのもそれだった。口を開いて診察している時に見えた歯は奥まで綺麗だったから。もちろん、色々な疾患からくる症状として考えられるのだから、FIVやFeLVと決まったわけではない。
そしてここで私のキャパや覚悟のなさが露見する。両親の家に住んでいることの便利さはあるが、不便さはここに集約される。これ以上1匹も迎え入れることができない、ということ。
そして助には飼い主がいると思われること。
悪い飼い主像ばかりが思い浮かぶが、必ずしもそうではないかもしれない。もちろん、未去勢・未避妊で(助は既にこちらで去勢手術は済んでいるが)外出自由にしている飼い主なんて、私には最悪の部類に入れてしまっていいレベルだけど。
先生ともいくらか話し、悩んだ挙句、いや、まだ結論は結局出ていないけれど、私自身が飼い主がいると強く感じている以上、飼い主に連絡してみることはしないといけないだろう。家がどこかは分からない。以前にしてあげたゴム首輪は連日外れていたことを考えると、恐らくホル同様、飼い主が外したものと推測される。ならば家まで、ホルのように手紙を届けることも可能だろう。全く検討もつかないのだし、藁にすがるよりはマシな方法だとも思う。いつもの如く、プロポリスを薄めたものを混ぜ、缶詰だけを与える。その間に急いで手紙を書き(躊躇したし、今もやめておけば良かったかもと思ってしまうが、苗字と携帯番号も記しておいた)、首輪を作り助に託す。
当の助は事務所の周りで暫くのんびりとごろごろしていた(^^;)。こちらはやきもきしているというのに。
自分でリスクを負えない負い目、というか、恥ずかしさ。正直言えば、ここに書くことすら嫌な気持ちもある。
書くことで免罪符を得たいのか?戒めなのか?いつか乗り越えた時のための記録なのか?
凹んでいる時には嫌なことは重なるもので、久々に、親が単純に親子という名前の繋がりではあっても、理解者足り得ないことを思い出させられた。
人に理解してもらおうと思ってやっているわけではないけれど、それでも「あぁ、理解されてはいないんだ」と実感するのはしんどい。それも毎日生活を共にする人間となれば尚更。
ま、戻って来て早々の段階で、父母共に、どれだけの言葉を尽くしても今のこの人達には無駄なんだ、と思い知らされてしまって以来、ほとんどを言葉にすることはなかったから、私が悪くもあるのだけれど。
それでもおかんの行動が以前よりは若干変わったことに、私はかなり油断していたんだと思う。これはだから、無闇に他人(親だって自分以外の人という意味では他人だから)に甘えてはいけないよ、というアドヴァイスなのかもしれない。
人の好意はとても嬉しいし、ありがたいけれど、それに慣れたり、甘えたりしてはいけない。自分で立っていられてこそ、自分の好きなこと、したいこともできるのだ。両親の家に住まわせてもらっている状態の私は、立脚点からして慣れや甘えに偏ってしまえるのだから、一層気をつけなければいけないのだろう。
人の好意を素直に受け入れ、感謝することと、慣れて甘えることとは違うのだから。
そんなことをこの年になって再確認するというのも、我ながら情けない話だし、何だか悲しい。
凹んだ私は今夜はさっさと寝る。いつまでもマイナスなことばかり考え出しそうだから。そんなんで深みに嵌ったら、それこそ馬鹿みたいだ。
(多分いるはずの)助の飼い主さんからのレスを待っていよう。ないならないで、次の行動をするだけのことだ。