午後、やっと出てきた

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助を、昼から来て丁度帰ろうとしていたSが病院へ連れて行ってくれた。と、今日は一人留守番ではないので、もちろん私も一緒。
結果、助は歯肉炎と口内炎を併発していた。歯垢がついて歯周病になっているわけでもなく、年齢的にも若い(せいぜい4、5歳だと思うのだが)ことから、その根っこにはFIVやFeLVの可能性もあると言われた。歯肉炎と口内炎と言われた時に、私の頭に浮かんだのもそれだった。口を開いて診察している時に見えた歯は奥まで綺麗だったから。もちろん、色々な疾患からくる症状として考えられるのだから、FIVやFeLVと決まったわけではない。
そしてここで私のキャパや覚悟のなさが露見する。両親の家に住んでいることの便利さはあるが、不便さはここに集約される。これ以上1匹も迎え入れることができない、ということ。
そして助には飼い主がいると思われること。
悪い飼い主像ばかりが思い浮かぶが、必ずしもそうではないかもしれない。もちろん、未去勢・未避妊で(助は既にこちらで去勢手術は済んでいるが)外出自由にしている飼い主なんて、私には最悪の部類に入れてしまっていいレベルだけど。
先生ともいくらか話し、悩んだ挙句、いや、まだ結論は結局出ていないけれど、私自身が飼い主がいると強く感じている以上、飼い主に連絡してみることはしないといけないだろう。家がどこかは分からない。以前にしてあげたゴム首輪は連日外れていたことを考えると、恐らくホル同様、飼い主が外したものと推測される。ならば家まで、ホルのように手紙を届けることも可能だろう。全く検討もつかないのだし、藁にすがるよりはマシな方法だとも思う。いつもの如く、プロポリスを薄めたものを混ぜ、缶詰だけを与える。その間に急いで手紙を書き(躊躇したし、今もやめておけば良かったかもと思ってしまうが、苗字と携帯番号も記しておいた)、首輪を作り助に託す。
当の助は事務所の周りで暫くのんびりとごろごろしていた(^^;)。こちらはやきもきしているというのに。

自分でリスクを負えない負い目、というか、恥ずかしさ。正直言えば、ここに書くことすら嫌な気持ちもある。
書くことで免罪符を得たいのか?戒めなのか?いつか乗り越えた時のための記録なのか?

凹んでいる時には嫌なことは重なるもので、久々に、親が単純に親子という名前の繋がりではあっても、理解者足り得ないことを思い出させられた。
人に理解してもらおうと思ってやっているわけではないけれど、それでも「あぁ、理解されてはいないんだ」と実感するのはしんどい。それも毎日生活を共にする人間となれば尚更。
ま、戻って来て早々の段階で、父母共に、どれだけの言葉を尽くしても今のこの人達には無駄なんだ、と思い知らされてしまって以来、ほとんどを言葉にすることはなかったから、私が悪くもあるのだけれど。
それでもおかんの行動が以前よりは若干変わったことに、私はかなり油断していたんだと思う。これはだから、無闇に他人(親だって自分以外の人という意味では他人だから)に甘えてはいけないよ、というアドヴァイスなのかもしれない。
人の好意はとても嬉しいし、ありがたいけれど、それに慣れたり、甘えたりしてはいけない。自分で立っていられてこそ、自分の好きなこと、したいこともできるのだ。両親の家に住まわせてもらっている状態の私は、立脚点からして慣れや甘えに偏ってしまえるのだから、一層気をつけなければいけないのだろう。
人の好意を素直に受け入れ、感謝することと、慣れて甘えることとは違うのだから。
そんなことをこの年になって再確認するというのも、我ながら情けない話だし、何だか悲しい。

凹んだ私は今夜はさっさと寝る。いつまでもマイナスなことばかり考え出しそうだから。そんなんで深みに嵌ったら、それこそ馬鹿みたいだ。
(多分いるはずの)助の飼い主さんからのレスを待っていよう。ないならないで、次の行動をするだけのことだ。

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このページは、柿ママが2004年7月26日 23:08に書いた記事です。

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