まるこを保護した時から、みなとがパートナーになってくれるといいと思ってた。
りょうくんにはちょこ、もーすけにはほのか、まもちゃんにはあまね、というのが何となくあったから。
だから、願ってた通りになったんだけど...
あまりにラブ過ぎて、何だかちょっといらつく(笑)
*私の飼い猫達*の最近の記事
誰彼構わず噛みつくとか、そこまではいかないものの、陸奥は大概の子を追い駆け回す。絶対わざとと思いたくなるほど。
陸奥は元々は別宅外猫。そして瑠儀亡き後、昼間の限られた時間、外出する子。そうせざるを得ない子は瑠儀で終わりだと思ってたのに...(・・、)
陸奥の運動量に、室内スペースが応えきれないのが理由。一度でも陸奥の子犬並みの疾走を見た人には確実に実感してもらえるはず(-_-;)
そんなわけで、陸奥は外でも中でも、大概の子を追い駆けて、外では追い払い、中では追い詰める。ある程度成長してから別宅内に入れたことが影響してるのだろうから、仕方ないとはいえ...。
自分より小柄な子は追い駆けてるように見える。けれど、小柄でも追い駆けられない子もいる。体格が一緒でも威嚇しまくる相手もいる。一貫性があるようでないようで、でも姉妹には同じ反応だし、母娘にも同じ反応。ということは、体格の要素は大きいけれど、そこに強く影響する要素が遺伝子的にあるってこと!?
一番不思議なのは、自分より小柄なちい姉ちゃんと、りょう兄ちゃんには決してちょっかいを出さないこと(^_^;) うちの年功序列をよく分かってるなぁとも思えたりする。
りょう兄ちゃんとはこの↓シチュエーションでも問題ないらしい(笑) ホント不思議。
2か月ぶりがまたしても旅立ちの報告。FBが楽なものだから、ついついこういうことになってしまう。
だからFBでは隼人が頑張ってる姿を何度か載せたりもしてるのだけれど...。
自宅外猫から、6年ほど前に別宅の飼い猫になった隼人。すでにその時いい大人猫だったから、10歳をとっくに過ぎてたのか、それとも10歳ちょい前くらいだったのか、外に暮らす猫としては長めの生を、家の中(もちろん完全室内飼い)で暮らす猫としては短めの生を、1時間ほど前に終えた。
叔母と二人で見送った。大好きな叔母の膝に抱かれての旅立ち。
一年前にそうなっていてもおかしくなかった。それを驚くほどの頑張りで乗り越えた隼人。今年も何とか寒さを乗り越えたところだった。
叔母は外猫だった隼人が最初は怖かったと言う。事務所の外猫達と違って、それまでは全然接触がなかった子がいきなり別宅の飼い猫になったのだから、まだ猫歴の短い叔母にしてみれば当然だったのだろう。それなのに、いつの間にか、叔母大好き猫になってしまってた隼人(^_^;)
私なんて、投薬やら何やらするから、こちらから近寄ろうとすると逃げられてたのに...。それでいて、叔母がいなくて寂しい時は甘えてくる。で、叔母が来るとさっさと私を見捨てる隼人。
今年、調子がまた悪くなってからは、よく私の膝の上にも自分からやってきた。そう考えると、不幸中の幸いというか、最期を前にして、私と隼人の時間はすごく濃くなっていたんだな。
昨夜は自宅に帰るのが憚られて、別宅泊まり。今夜はさすがに帰らねば、と悩んでいたのがまるで分かったかのようなタイミング。「隼人、明日の飲みはもうなくなったんだよ。だから夜も一緒にいられるんだよ」と、既に旅立った隼人に呟いてしまう。
寂しい。けれど、悲しくはない。涙は出るし、ああすればこうすればはいくらか思うけれど、去年の正月からの一年、お互いに頑張った。だから、後悔というほどのものはない。
ありがとう、隼人。そういうふうに過ごさせてくれて。
ありがとう、隼人。うるとの悲しい別れと、隼人自身の頑張りが、私をファミリーホメオパスの道へ進ませてくれた。そしてお母さんはこれから、プロのホメオパスを目指すんだよ。君のお蔭で。
ありがとう、隼人。A叔母さんと二人で、見送らせてくれて。この数日は特に、微笑んで思い出せる思い出をたくさんくれた。
いってらっしゃい。向こうでみんなが待ってる。
そして、またね。いつかまた逢う日まで、待っててね。
自宅飼い猫末っ子のせな。
保護時の様子(http://kakkie.com/cats/2007/06/post-872.php、その2、その3)から、何かとんでもなく恐ろしい目に遭ったのだろうと思われる彼は、その火傷が治った後も、びびりん度はとんでもなかった。
すったもんだの末、膝抱っこは大好きになったし、室内ではそれなりに寛げるし、ご飯をもらう時なら大きいお母さん(わが母)にも少し甘えられる。
が、ちょとした物音にもびびるし、私の部屋以外では中々甘えられないことも多いし、何より(トラウマのせいかは不明だけれど)衣服をしゃぶった挙句に飲み込んでしまうという致命的な大問題が...。
いたちごっこの対策、けれど命に関わる事態も起こしかねない。
何年か前にレメディーも試してみたけれど、微妙だった。半端な頃の半端な知識だったし。
で、今回、他の子の処方で教わった、恐怖&ショックのレメディー3種類2つのポーテンシーをそれぞれ3日間づつ繰り返し、トータル18日間飲ませる、というのを試してみることに。それで駄目なら、トラウマのサポートレメディーも試してみることに。
途中飲ませ損ねて、3日間を4日や5日に延長した(自己判断)こともあって、余計に長くかかったけど、何だか僅かではあるけれど変化が感じられる。
せながへそ天してる!!!!!!
いや、もしかしたら過去には1、2度見たことがあるかもしれない。でも、近くでカメラ構えて何度も撮ってるのに、ノーリアクションで見つめ返してる!!! 普段なら逃げてるはずのせなが。
最近は爪切りの際にも私の手を結構強く噛んで嫌がってたせなが、先日久々に爪切りした時にはちょっと嫌そうな素振りと鳴き声だけ。いやいや、ここ数か月の爪切り状況から考えたら、あり得ない事態。
効いたのかなぁ。恐怖&ショックのレメディー達。最初に処方された子は確かに効いてた。
が、異食にはまだ効果は出てないのか出てるのか難しい。頻度は下がってると思うけれど、それはレメディーを飲んだからか、ひたすらせなが満足する朝晩の膝抱っこを欠かさないようにしてるせいか、判断つかないから~(^_^;)
去年の今頃、もう自宅外猫うるを見送った後だったか、まだこれからだったか...。
同じく別宅飼い猫の隼人も危ない状態だった。大好きだったきびなも食べてくれず、いくつかの刺身に反応してくれたので、毎日ひたすら刺身を買い、MTのバーバリスブイと、口内炎のせいもあるかとMerc.とかPuls.をかけて食べさせてた。
これでダメなら仕方ない、と。じっと座っていると私にも寄ってくる隼人は、私から寄っていくと必ず逃げる子...(-_-;) 強制給餌なんてとんでもない負荷になるのは目に見えてたから、実行できなかった。
なのに、1月が終わる頃には大復活。レメディーに反応できる力をまだ持ってたんだ、と一安心だった。
そして1年経った今。今、ちょっと食欲は停滞気味だけれど、食べてはくれる。1年前に比べたら全然食べてる。痩せてはいるけれど、歩きもしっかりしてる。隼人はすごい。
隼人、今年も頑張ろうね。
そして、ソファーの反対側では呑気に爆睡するみなと...(^_^;)
とは言え、この子はFIVキャリアなので、この子の体調管理も重要重要。ただし、我が家ではキャリアとノンキャリアを分けるなんてことはしません。意味ないと思ってるし、それを証明してくださってる猫飼いベテランさん達もいるし。
流涙、鼻水、鼻詰まり、口内の炎症もほとんど解消されたから安心してるけど、油断はしない。
発症させずに一生を全うする手伝いをするのが私の役目。
だからこそ、私自身も心身魂共に健康でいなくちゃな~、とやっと思えるようになった今日この頃...(笑)
1:00少し前、健人は大好きな祖母とたまの元へ旅立った。
従妹に言われて気づいたけれど、祖母の命日の翌日...。
何故か、未だに泣いていない私。
後悔はある。いつだってある。そしていつもほとんど同じような内容の後悔。「もっと...」と。
けれども叔母には言われた。「やれるだけのことをしてあげられたけんじゃないと?」と。
それはあるかも。この2週間、少しでも健人に食べさせて、体重を戻す。それが目標で、健人の「まだ頑張れる」と言ってるようにしか見えない瞳に後押しされて、ひたすら自宅と別宅を日中余分に一往復し続けた。
正直しんどかった。
でもまだまだ健人といたかったから。
自宅前の溝の中で鳴いてた健人。子猫好きの我が妹犬ルルがそこから離れず、業を煮やした母が捕まえろと命じてきた(笑)子猫。しかし当時保護した子猫すら自宅に入れてくれなかった母。
敷地内での保護、けれどそれを見かねた亡き祖母が「うちの猫にするけん」と。猫好きの母方の祖母は、同じ敷地内の棟続きの家にいたのだけれど、やはり父に気を遣って、決してそんなことを言う人ではなかったのに。
健人が祖母を選んだのだ。だから祖母は健人を迎え入れたのだ。
因みに、健人という名を付けたのは、私と母。
途中諸々あって、祖母宅と私の部屋を行ったり来たりし、祖母亡き後は私の猫に。
子猫の頃の健人を世話してあげたぎんたは、健人が成猫になると、健人を攻撃するようになってしまった。しかし実は、健人がぎんたに反抗して、生意気を言った挙句に、ぎんたが怒っていたということがネット猫友のアニマルカウンセリングで判明。
悩んだ時期もあったけれど、ぼちぼちやっていくしかないと開き直ってみたら、仲良しにはならなかったものの、それなりに折り合いをつけて、こんなふうに緊張しつつも、近くで寝れるようにもなったり(笑)
本当は健人って世話好き猫だったと写真を探してて、思い出した。
祖母宅にいたおじいちゃん猫のたまとはとても仲が良かった。たまの毛繕いを、健人はよくしていた。優衣にもしてくれてたことあったんだっけ、と。既に記憶にはないのだけど(^_^;)
自宅の末っ子、せなとよく遊んでくれたのも健人だったな。ぎんちゃんはもう弟妹の世話には疲れてしまってたし(笑)
そしてよく喋る子だった。「お母さん」と聞こえるような鳴き方をよく私に向ってしてた。実際何と言ってたのかは分からないけれど、これから先も、健人は「お母さん」って私に言ってたんだと思っておこう。
あぁ、こうして思い出してると、やはり寂しくて、ちょっと泣けてしまう。
けれど、穏やかだな。もっともっとと思うのも事実だけれど、最後の2週間、健人の頑張りにそれなりに応えられたつもりだし、日曜月曜は久々にしっかり食べてくれたのも影響してるんだと思う。
最後の2日はシリンジで入れてあげた水にもえづいてしまっていたけれど、それでも最期まで飲もうとしてた。だから、諦め悪いなと思いつつも、本当に最期までシリンジでスープや水を飲ませ続けられた。
こんな状態だからこそ、奇跡が起こらないか、と願って...。
起こらなかったけれど。
健人、またばあちゃんとたまに逢えたね。良かった。あんなにばあちゃんのこと好きだったもんね。
ばあちゃんがいなくなって、自分の居場所が分からなくなってしまってたよね。だからお母さんは、「私がこれからは健人のお母さん。お母さんがいるところが健人の居場所だよ」と言ったよね?
これからも変わらない。
でもばあちゃんやたまがいるところも健人の居場所。
好きな時に好きなところにいたらいい。お母さんの傍には、いつも健人の居場所があるから。
だから、健人、いってらっしゃい。
と言えば、聞こえはいいけれど、それしかできない無力感...
日曜、月曜はあんなにしっかり食べてくれたのに。時間はかかるだろうけれど、これだけ食べられるなら、少しづつ体重も戻していけるんじゃないか、そう思ったのに。
火曜の夕方から、何も口にしなくなった健人。
そっとしておきたいという思いと、まだ奇跡が起こるんじゃないかという思いが、ぐるぐる...
覚悟はしながらも、最後まで諦めきれないのはどの子も同じ。
けれど、健人は何だか逆転を、奇跡を起こしそうな気もしてしまう。あんなにしっかりした瞳だったから。
でも今はシリンジで飲ませる水にさええづいてしまう。
ぎんた達に夕飯を用意してると、体を起こして振り返る。口をつけてくれはしないかと、缶詰を出してみる。無理。スープをシリンジで飲ませる。1mlも飲んだかどうかのところでやはりえづく。
それでも口に含ませると、飲み込む健人に、諦め切れない思いが湧く。
とても難しい、厳しい状況だとは思えども...
それでも健人の瞳からは「まだ頑張れる」って想いが伝わってくる気がする。
骨川筋衛門状態で、ちょっとしたことでふらついてしまってるけれど、階段を上り下りし、ロフトベッドに棚を経由しながら登り、ご飯を催促する。
この1週間、朝夕夜に加え、昼間の食餌を1食増やすために、毎日昼間、別宅から自宅に戻っている。
正直、きつい。さすがにしんどくて、土曜日は勉強もできずに久々のうたた寝。うたた寝っていう平和な感じじゃなく、ただ力尽きてただけだけど...(^_^;)
でも、健人が待ってる姿、そして昼間の特別食を催促する姿に、頑張ろう、って思ってしまう。
入院してた伯母もやっと戻ってきて、健人は少し安心したよう。伯母のところでもご飯をもらって食べる。
大量には食べられないし、これまでの時間で失った体重って簡単には戻らないだろうけれど、少しづつでも身になってくれれば...と願わずにはいられない。
さて、来週からも頑張れるからなぁ...。
伯母からもらう分で、昼間の1食にはなってるんだけど、どうも特別食(サーモンだとかハガツオだとか...)を期待して待ってるみたいなのがなぁ...(^_^;)
まぁ、自宅のベランダにちょっとしたDIYをしなきゃいけないから、もう2、3日は昼間、自宅に戻らないといけないだろうけど。別宅の冬支度もあまり進んでないし、悩ましい。
やっぱりコピーロボットとどこでもドアが欲しいと真剣に思う(笑)
もともとね、マーキングやしっこ抗議してるのは、りょうくんだけじゃないとは思ってるよ。
うん、本当に、そう思ってる。
けど、やはり5割から6割はりょうくんのじゃないかなぁ、とも思ってるわけで...(^_^;)
外猫達が庭をうろうろしてるのが気に入らないんだよね?威嚇したりすることはほぼないけど、気にしてずーっと縁側やら窓辺やらをパトロールして回ってるもんね。
りょうくんみたいな性格の子には、申し訳ない環境だろうなとも思うけど、こればかりは致し方ない。
お母さんは外の子も放っておけないのよ。
だからぐすり寝てるりょうくんを見てると、色んな意味でほっとするのだよ(笑)
既に成猫になりきっていた瑠儀と出逢ってから、14年3か月。
6年ほど前には行方不明騒ぎもあり、けれど奇跡的に再会し、外猫から日中のみ外出自由の別宅飼い猫へとなり、昨夜友人と私の見守る中、猫生を終えました。
まだ別宅はなく、父の事務所を手伝っていた頃、事務所の前を通り過ぎる瑠儀とふと目が合ってしまったあの日。自宅飼い猫のぎんたの瞳ととてもよく似ていたあの瞳に惹かれて、私の本格的な餌やり人生が始まったのでした。
亡き我が妹犬のルルとも仲良く、亡き父にも、一緒に働いていた従弟叔父にも可愛がられ、近所の猫友おじさんを始め私の既知未知のご近所さん達にも愛されていた瑠儀。その穏やかな性格と一時はひたすら食べまくったためにぽっこりになってしまったお腹のために、よく妊娠した雌猫なんだと勘違いされてました(^_^;)
ある冬の日、2、3日姿を見せなかった後に、前足を血だらけにしてやってきた時のショックと言ったら...(-_-;) 何をどうしてか分からないのですが、親指に当たるところをざっくり切っていて、肉も見えてました。その後遺症で瑠儀はその部分の爪は出し入れできないままに。当時治療後、しばらくは外に出さないようにとかかりつけ医に言われ(外猫だって知ってるのに、中々無茶を言う先生なのです(^_^;) 治療するなら責任持て、というのが恐らく自論)、事務所に泊めることに。初めてのことなので、事務所内で無茶をしないよう私も泊まり込み。
コピー機の上が大好きで、怪我した直後に来た時も確かそこに上っていったなぁ。メーカーさんとか聞いたら嫌がられそうだけど(^_^;)
節分の豆によくついてるオマケのあれとかでこんなことされても、嫌がりはしても怒らない、そんな子でした。
亡き蓮くんは瑠儀が大大大大大好きで、けれど瑠儀はそんな蓮に「寄るな!」と耳や頭をかぷり。それでも瑠儀兄ちゃんが大好きな蓮は、毎回毎回めげずに瑠儀のそばに寄り添おうとするのです(^_^;) 今頃はまた会えた瑠儀に大喜びかも。旅立つ瑠儀に「今度は遊んであげてね」とも囁いたけれど、さて、どうなっていることかなぁ。
年齢的にも最近の衰え方にも、覚悟を促されてはいたものの、あまりに急なことで、実感が伴っていないのか、直後に涙ぐんだだけで、きちんと泣けてません。友人がそばにいたからか(基本的に人がいると身内であっても、悲しみを出せない性質です)、0ではないものの後悔が本当に少ないと感じているのか、急なことに麻痺しているだけなのか...。
寂しさはとてもあります。ホル亡き後、唯一日中自由に外出させていた猫なので、夕方のお迎えが日課で、瑠儀もそれを楽しみに外出している節もあり(^_^;)、今、夕方の時間をまったく気にしなくていいようになったのは、何となく落ち着きません。今もすぐそばにいたり、玄関前でご飯を待ってたり、いつものあの場所で私が迎えに来るのを待ってるかも(想像したらやっと泣けてきました(笑))と、思えます。
悲しい、寂しい、でもいっぱいいっぱいありがとうね、瑠儀。
そっか、たくさんのありがとうがあるから、悲しい涙があまり出てこないのかも。それだけ長い時間を過ごしたもんね。
大好きだった。いや、これからも愛してる、瑠儀。
今ここに私がいるのも、別宅があり、そこにりょう達がいるのも、外に陸奥達がいるのも、すべて瑠儀がきっかけ、始まり。だから、こうしている限り、瑠儀とお母さんはいつまでも一緒だね。
事務所時代からの子はこれで、叔母宅の外猫となっているはるちゃんだけになりました。何故か、年上の瑠儀がはるちゃんより後に旅立つものと思い込んでいたのですが...。
けれどやはり瑠儀の存在は大きな大きなもので、一つの区切りがついてしまったのだなぁ、と。
まだまだはるちゃんも、自宅飼い猫のぎんたも健人も、自宅別宅それぞれの外猫の中にも衰えの見える子達が複数いるので、毎日に区切りはつかないんですけどね...。