今朝、8時前に、たまは大好きなおばあの元へ旅立ちました。推定14歳。
最後は幾分息がぜいぜいしていましたが、酷く苦しがることも痛がることもなく、良かった、と思っています。
もっと一緒にいて欲しかったけれど、今は楽になって、元気に、おばあに甘えているのだと思うと、それはそれで良かったとも思えます。
寂しさはあるけれど、それに浸ってはいられない。運転しながら泣いてしまうなんていうちょっと危ないこともしてしまいましたが、まだ私には守らねばならない21匹がいるのですから。
伯母はきっと私以上に寂しかろうと思います。それをどうこうしてあげることはできないけれど・・・。
共同墓地に収められるたまの骨。火葬場で最後のお別れをし、一層寂しさは募ります。
もう撫でることも抱くこともできない。お腹を撫でると、歌うかのように「あぉう、おう、おう」と鳴いていたたま。私が帰ると、夕飯を持って行くまでひたすら鳴いて催促していたたま。もうその声も聞くことはできない。私の中にも、伯母の中にも、おかんの中にも残ってはいるけれど・・・。
後悔はない、もしくはとても少ないです。やれるだけのことをやり切ったかと自分に問えば、「まだやれたかも・・・」という気持ちもあります。けれど、何故か悔やむ気持ちはあまり湧いてこないのです。自分なりに頑張ったし、たまも頑張ってくれた、と思えているのでしょうか。
たま、今までありがとう。
嫌なこと(爪切りや投薬、強制給餌)を色々したねーちゃんだったけれど、それでもきっとたまは姉ちゃんのことを好いていてくれたね。姉ちゃんもたまが大好きだった。いつか姉ちゃんも、たまとばあちゃんの元へ逝くから、また会おうね。
春の陽射しの中、チューリップを愛でながら、のんびりとぶらぶらしようと思っていたのですが、到着早々裏切られたテンボスの盛況さ・・・(-_-;) とある観光会社が「お客様感謝ツアー」とか何とか銘打って、団体さんを連れて来てたのです。
それでも前から「そのうち乗りたいね」と言っていた観光丸に乗ることができたので、それなりに満足。が、お互いに「もう少し空いている時にまた乗ろうね」とリベンジ(!?)を誓ったのでした。
朝からちょっと左目をすがめていた平次。たまに左だったり右だったりはするけれど、その度にシルバーで事無きを得ていたのだけれど、今回は違った・・・。夕方になって、瞼の内側が腫れて盛り上がってしまっていました。昼間は全然大丈夫だったのに・・・、何故?
この写真を撮ったのは先月16日。それよりも1週間ほど前から、叔母宅周辺に現れたこの子。雄、だと思ったのに、ぽてぽてのお腹をしていて、一時はひやひやしたものの、結局雄だということが判明。