祖母が拾い、祖母亡き後は伯母が面倒をみているたま。ルルより少なくとも1年は早く拾われたので、今14歳か15歳くらい。今まで病気一つしたことがない、というのが伯母の自慢でもありました。
そのたまが先週末から食餌をあまりせず、毎日胃液を吐くのです。
夜、何もしようがなくて、原因もはっきりせず、とりあえずハイポを飲ませてみると、翌日は少し食餌をしたりするので、伯母と話して様子見することに。
が、あまりにも食べない様子に、昨日病院へ。
腎臓か肝臓か。様子や年齢から考えると、恐らくそこだろう。いや、どちらかと言えば腎臓の方の可能性を強く感じていました。唇が何だか黄土色っぽいことに「あれ?」と思いつつも、それが何を意味するのか、知識がありませんでした。
血液検査の結果、肝機能の数値は恐ろしいほど高く、正常値の10倍20倍いや、50倍でもきかないくらい。
検査前に「黄疸のすごか」と言われ、耳や唇、瞬膜、そして検査後の血清の色を示されて驚きました。
もっともっと随分前から兆候はあったはず、と。
いつの間にか私があげる夕飯を待つようになったたま。1日のうちでその時くらいしか会うことはなかったとしても、伯母の次にたまの様子に気付けるのは私だったはずなのに。猫の知識だとか、様子だとか、猫達に積み重ねさせたもらったものは伯母よりもあったはずなのに・・・。
もっともっと早く、些細な変化にも気付いてあげられれば・・・。
先生が猫のストレスを考慮して、錠剤の投薬を自宅ですることになりました。併せて強制給餌もすべきだろう、と。
伯母には無理なので(慣れていないことよりも、目が悪いのが何よりネック)、私が投薬・強制給餌をすることになります。
クリニケアを飲ませているのですが、吐いたり吐かなかったり。「吐くようなら、とにかく少量づつ」と先生にも言われ、正直大変さは倍どころではありませんが、できることをしなければ航海するのは自分自身ですもんね。
とにかくできるだけのことを頑張ってみるしかありません。たまも頑張っているのだから。
実は、自宅外猫のキンタロウが姿を見せなくなって1週間ちょっと。
彼のためにフードジプシーもしたし、ご飯を食べたくても食べられなかった時は悩んだ挙句にステロイドの選択をし、状況が幾分でも改善したらハイポを飲ませ続け、時にはキンタロウにもハイポ入りの強制給餌をしたこともありました。それでもやはりまだもっと何かできることがあった、もっとしてやりたいことがあった、と思っています。
もちろん、2週間以上経って戻ってきたホルの例もあります。もっと長い不在を経て帰ってきた猫達も知っています。待っている気持ちもあります。けれど、キンタロウの健康状態を考えると、心のどこかで「おばあのところへ行っちゃったか」と言う気持ちもあったりします。直前の姿は普通に、彼としての元気な状態でいたんですけどね。
だからやはりできる時に、できることをどんどんしなければ、後悔の山に、気持ちを飲まれてしまう。20数匹の猫達のその生命と向き合うことが辛くなる、と思うのです。
何もかも、頑張れているわけではない、と自分でも思います。でも、頑張ろうと言う気持ちをなくしたら終わりだろうな、と。猫達と生涯共に暮らし、向き合っていくためには頑張るしかない、ですよね。
早く元気になるといいけれど・・・。
それまで頑張れ!
具合はどうでしょうか?
自分でちょっとずつでもご飯が食べれるようになるといいですが。ifと薬と愛の力でたまちゃんの痛みが早く消えますように。
2人ともありがとうm(_ _)m
何か食べたい気持ちはあるみたいなのだけれど、今のところ何を出しても
気持ち悪いかのようなリアクションをします。
食べられる「何か」を手探りしつつ、当分は強制給餌を頑張るしかないかな。
投薬も抵抗する力がちょっとづつ戻ってきてて、嬉しい反面大変です(^^;)
たまちゃん、少しでも食べれるようになってほしいですね。
ほんと、食べられる「何か」が見つかればー。
小鉄は「かますご」がきっかけで食べれるようになったことがありました。
キンタロウちゃんのことも心配ですね。無事でいてほしいですね。
そうか、小鉄ちゃんはかますごでしたねぇ。
今朝、5、6粒ほどカリカリを食べたそうです。もちろんその後強制給餌でしたが・・・。
心配事(キンタロウ)があっても、さらに大きな心配事(たま、事務所外猫に新顔)が
出てきて、中々落ち着いていられません(^^;)