ACをきくりんさんにお願いするにあたって、健人は、ぎんたとの仲を改善していく上でも必要、と考えていました。「私の子」という括りに入れ辛い立場にいる健人。健人に向かって自分を「お母さん」と言ったことは1、2度しかありません。祖母と伯母に遠慮して。かと言って、たま(祖母の先住猫)に呼びかけるように「姉ちゃん」と言うのは何だか違うし、私の部屋で過ごすことが多いので、ぎんた達との兼ね合いもある。
結局、はっきりとした呼称のないままきたのでした。だから、健人は私のことをどう捉えているのか、とても難しかったです。きくりんさんにはそういったこともお話して、「これからは私のことを『お母さん』と呼ぶようにしたい」ともお伝えしました。
すると・・・
「お母さんの友達の・・」と言うと「おかあさん?」としばし考えた様子があり「○○の事?(私の名前を縮めたような呼び方)」という感じで言っていましたので柿ママさんの事だと思い「うん。そうなの。○○のお友達だよ」と答えました。
やはり健人にとっては私はお母さんという認識にはなっていませんでした。当たり前ですね。
これに関しては、後に出てくる健人の不安を解消するのと共に、伯母の前で「私がお母さん。○○(健人が呼んでいた私の名)が健人のお母さんだよ。お母さんがおるところが健人の家。でも健人がおりたいところにおっていいとよ。」と宣言しました。
この翌日から、健人が私の部屋で過ごす時間が日に日に増えてます。それでも伯母の元へも戻るのです。「抱っこして~」と。私にもそうしたいようですが、ぎんたの手前できずにいるようです(^^;)
健人は「誰にも負けない」「どこにでも行ける」という自負心があり、そういう点からも、皆をまとめようとするぎんたとはどうしてもぶつかってしまうようです。「どこにでも行ける」とは、当初は脱走のことかと考えており、きくりんさんにもそうお話したのですが、これはきっと私のところと伯母のところのどちらにも自由に行き来できることを言ってるんでしょうね。今、確信しました(笑)
ぎんたは一時、マーキングが酷く、伯母宅へ行けば必ずマーキングを繰り返していたため、出入り禁止とまではいかないものの、なるべく伯母宅へは行かせないようにしてるのです。幸い、どうしても行きたい、というほどではなかったので良かったのですが、こういうところに影響を及ぼしているとは・・・。
「あのね、ぎんちゃんの事はどう思っているの?」と尋ねると「ぎんた?」と訝しげな感じで少し間があり「いろいろうるさいんだよな」(あれしちゃダメ・・など注意しているというニュアンスでした)やはり4匹対健人の関係がきちんと構築されていない、という状態ですね。もちろん私が悪いのですが。
「そうなんだ。でも、ぎんちゃんはお兄ちゃんだからやっぱりいろいろ考えてるんじゃないのかな?」と言うと「そうかもしれないけどさ・・・」という感じでした。
本音としては、「あんた小さい頃、あれほどぎんちゃんに構ってもらったじゃないの」って気持ちも・・・(^^;) とは言え、きくりんさんが話して下さった健人のイメージに、中高生がちょっと悪ぶるみたいな背伸びをしているような、というのがあり、年齢的にも性格的にも、そしてぎんたとの関係においても、そうしたものが表面化してしまう状況なのでしょう。
きっと色んなことが影響しているのだと思います。
そして、突然という感じで「ばあちゃん・・」という言葉を感じました。「ばあちゃんが好きなんだ。」という言葉と共に丸くなって眠る健人君が感じられました。
(中略)
このおばあちゃんの後に急にさっきまでの雰囲気と変わり「どこが僕の場所かわからない」というようなメッセージがありました。
「どうして?」と尋ねましたがどっちが自分の家か迷っている風でした。
「じゃあ、○○(私)にその事伝えようね」と言うと「うん。」と言っていました。
(中略)
また、おばあちゃんの事が出てきてお話が終わった後、頂いた健人君のプロフィールを見直しました。何かとてもおばあちゃんを好きだという感情が伝わりましたが、何となく肩身がスースーしているというか、何でいないの・・?というような半分はわかっている・・けど半分はわからないというような雰囲気が伝わりました。
やはり、おばあさまには可愛がられていたのでしょうか・・?おばあさまの側にいるような映像がありました。「健人はいいこだね・・」的な言葉をもらっているような・・。
そう、祖母のことも。そして人間(伯母)の都合で2箇所を行き来していることも。
というわけで、先の記述になるわけです。健人に対して、そして伯母に対して、自分に対しても、「私がお母さん、私のいるところが健人の家」宣言に。
併せて「ばあちゃんがおらんで寂しいね。ばあちゃんは遠いところにおるけど、でも健人のそばにもおるとよ。」とも。こんなにも祖母を愛してくれていたのか、と思うと、本当にじんときました。
既に、これまでにも随分私への甘えを見せてきていた健人。この宣言でより安心して、より堂々と、私の部屋で寛いでくれているようです。元々甘ったれではありますから(きくりんさんがエネルギーを流してくれた時には、手を子猫のようににぎにぎさせていたそうです(≧▽≦))。
ぎんたとの問題はまだまだまだまだ解決が先のようですが・・・(^^;)
数日前は、ぎんたに噛みつかれてました。とはいえ、毛がいくらか飛び散る程度で、流血には至らないのですが、もともと健人の悲鳴が大袈裟過ぎると思えるくらいなので、大騒動に聞こえます。ぎんたの元気ややる気が快復している証でもあるのでしょうが・・・(^^;) ま、少しづつ少しづつ。
健人君の回りに感じた色は赤・紫です。特に全体的に綺麗な赤だったように思います。 本来はとても好奇心もあり、リーダーシップも取れる子だと思いました。(生命力も強いのではないでしょうか?) ただ、紫に関してはちょっと色的に濁っているように感じました。不安感が一番なのかな・・?と感じました。健人のリーダーシップが発揮され、ぎんたの肩の荷を健人が分かち合ってくれたら、とても良い状態になるようにも思えます。ぎんたはその分甘えられるし、その状態になった時にはぎんたとしても健人を認め、健人もぎんたを認めていることでしょうから、健人が私に甘えることもぎんたは大目に見てくれるのでは?と。
ま、獲らぬ狸の何とやらとも言いますから、妄想だけを膨らますのはいけません(笑) しかしそういう理想をイメージしていくことも大事か、と。もちろん適宜修正されるべき理想だとは思います。これから健人が、そしてぎんたがどう変化していくかは未知数ですから。
というわけで、健人を含めて私の家は5猫sとなったわけです。きり、ぎんた、紗美、健人、優衣です。
もちろん、これまで同様、健人は伯母のところでも過ごすし、たまも私の愛する家族ではありますが。
今回、ぎんたと健人の関係をどう調整していくか、ということに方向性を見出すきっかけを作って下さったきくりさんに大感謝です。
そして健人の寂しさや不安を知ることができたことにも。漠然と感じてはいても、ここまで具体的に知ることは、私だけではできませんでしたから。
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