「こんぶ」!!これは結構可愛いかも。「こ」も「ぶ」もちゃんと入ってるし。
当の茶白を目の前にすると・・・・・・・・・茶白って可愛い顔つきをしてるけれど、「こんぶ」じゃないような気がする。
いっそ「こぶ」か「コブ」でもいいのかな。それはそれで結構シンプルで可愛らしいと思うのだけど・・・・・・。
まだ暫く、悩んでしまいそうな気がする。
ポン太は既に3日ほど来ない。そして日に少なくとも一度はもっくんがぶらりとやってくる。そう、まるで人間が喫茶店とか馴染みのお店なんかにぶらりと寄るみたいに。そして牛乳と缶詰を少し出すと、必ず牛乳そして缶詰という具合に口をつけて、済むとまた帰って行くという感じ。時には暫く休憩していったりもするけど。
もっくんはもっくんで、私の外猫としての席がちゃんとあるのだし、それは構わないのだ。ただポン太にもそうするつもりで、いや、もう完全にその気で、手術だって決めてたのが、急にこんな状態になったのが納得いかないのだ。せめてもっと早くに手術踏み切るべきだったのに。そうすれば毎シーズンごとの苦しさも、それによる喧嘩の怪我、テリトリーを本能のままに移動したり、超えてしまったりする際の交通事故だって、防げるのに・・・。
どうしてもポン太には手術をしたい。いや、ポン太だけじゃないが、この状況だからこそポン太には余計に手術をしたいと思うのだ。縁合って出逢って、一度は懐に入れたつもりの子なのだから。
GWではないものの、一応今日明日は連休。もちろん私が事務所にいることに変わりはないのだが、せめて自由な時間に読書三昧(いつもは「三昧」まではできない)、気分転換にDVD鑑賞(さすがに普段は気が引けて極稀にしか観ない)、な~んて思っていたが、何故か、いずれもあまりその気にならない。それでも今読んでいる本は結構面白いので、それなりに読書は楽しんでいるが。
身体が疲れているのだろうか?それとも気持ち?たいした労働もしてないし、睡眠もちゃんと取ってるのにな。精神的にだらけているだけなのかもしれない。
どうやら今度はおかんを連れて、「愛・地球博」に行くことになりそうだ。行きたいらしい。
面白そうなパビリオンが確かにあるが、自然の大切さをわざわざ人工物を作ることによって表現する、ということがそもそも何だか抵抗感だ。興味はもちろんある。けれどその何とも言えない抵抗感は否定できない。人工物が作られるということは、そこにいた生命(虫やら植物、時には外に暮らさざるを得ない猫達とかね)にとってはそれこそ環境破壊だろう。いや、別に虫さえも殺してはならない、って言うんじゃない。私だって小バエも殺せば、蚊も殺す。何より私は白蟻駆除の会社に勤め、それによって猫達を養っているのだから。別の生命を犠牲にした上で生きている、と思っている。
だからそういったことを受け止めずに、ただ出来上がったもので環境云々などと言うのは、何だか体裁だけを取り繕っているだけの、ホンモノじゃない、上辺だけのものように感じられてしまうのだ。
けれどもちろん、それに刺激を受けて、ホンモノを追い求める人間に、子供達が育ってくれるかもしれないのは否定できない。いや、子供だけじゃなく、大人だって。きっかけ、が得られる場にはなるかもしれない。
おかんに付き合うのは、単に親孝行として、今日も明日もいつ何が起こるか分からないと最近は強く思うからなのだけど、おかんももう少し何かに気付いてくれたらいい。何よりもまず、私とおとんが食べきれないほどの食事を作るのはやめて欲しい・・・・・・頼むから・・・。
お土産、待ってるで~。(^-^)
そんな余裕、ございません!!
余裕があったら猫達の飯代や手術代に回っていくのですから~(笑)
お土産は少しでいいぞー(^^)
それはともかく・・・・・・『愛・地球博』ってなあ・・・・・・柿ママの言うよーに、環境を云々するんなら、そもそも そんな大規模な人工建造物イベントにするなっちゅーこったね。
そんだけの金を注ぎ込んで、本当に自然環境を復活させようとかゆー方向には行かないんだよなあ。
佐世保もハウステンボスなんか潰しちまやいーのに・・・・・・
今朝も長久手日本館(だったかな?)の映像を流してたのだけど、万博会場だけでどれだけの電力を消費し、どれだけのCO2を排出してるのだろう???と考えた。
とは言え、私も行くんだし、楽しんじゃうんだろうけどね。複雑。本来なら決して行きはしないだろうから。
多くの人がそこで何かに気付いたり、何かを得たりすることができるのを切に願います。そうすれば無意味ではなくなるでしょう。
作ったものを壊す時にも、自然破壊は起こるんだよ。だからもう既に作られてしまったものなら、それが無意味にならないように、より一層人が意識を持たなければいけないんじゃないのかな。