百か日

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おばあが逝ってしまってから、もう100日も過ぎたってこと。未だにぴんと来ないという方が本音に近い。
けれどやっぱり現実にはいなことが影響していて、おばあがいた頃に比べると、私は格段に土いじりをしなくなった。もちろんそれは、おばあが逝く以前から、助の投薬のために始めた日曜出勤!?のために、そこに割く時間が減ったせいが一番なのだが・・・。
百か日だったから、というわけでもないのだが、今朝は法要が済んでから、久々に土いじりをした。桜草も植え替えを一度もしないせいで、数株しか大きくなっていないので、遅まきながら桜草の植え替えをしたのだ。作業中よく見ると、小さい株がいくつもできていた。ある程度まで育ったら、それらも植え替えをしよう。次回は、鉢に比べると丈高く育った万両の木も植え替えをしたい。

今日は優衣は自宅でお留守番だ。これといった理由はなかったのだが。
お蔭で私は事務所でえらく物足りない時間を過ごしたが、優衣はどうだったのか。外で土いじりをしている間は何度もベランダから呼びかけてきていたが・・・。少なくとも玄関までお迎えに来てくれたので良しとするか。最近は紗美の「お帰りの儀式」も、以前に比べると甘えが滲み出ていて、私としては嬉しい限りだし(^-^)

ぎんたにどれだけ恐い思いをさせられても、私の部屋に来たがる健人。何がそこまで健人を惹きつけるのだろう?優衣がいること?ベランダに出られること?どこでも好きな場所―棚の上もカーテンレールの上も押入れの中も―に行けること?
正直に言えば、ぎんたが健人をわざと追い詰めること、健人が追い詰められた時はもちろんのこと、そうでなくともぎんたが視界に入っただけで、ぎんたが自分の方を見ていなくとも、噛まれたり引っ掛かれたのかと思うほどのとんでもない悲鳴を上げることは、私にとってもとてつもないストレスだ。それが続けば、悲しみと怒りと情けなさで、もうどうしていいのか分からなくなってしまう。
しかし健人はそれだけの悲鳴をあげる羽目(とは言っても、悲鳴をあげるような身体的被害があることはその悲鳴の数に比べれば少ないのだが・・・)に遭っても、私の部屋から自分の家に戻るのは嫌がるのだ。じゃぁ、だからと言って自分の家が嫌なのではない。私から見れば、「もっとたまや健人、猫の立場に立った環境にしてあげてよ。もっとたまや健人の気持ちを汲んであげてよ。」と思ってしまうスタンスの伯母であっても、健人にとっては一番好きな人なのだ。おばあが飼うと決めた健人は、多分伯母をお母さんだと思っているのだろう。
050227_kento.jpgぎんたが1階にいたお蔭で、少しゆっくりできた健人。しかしぎんたが戻って来て、健人に気付くと、健人も途端に喚き出す。何とかそれぞれを宥めながらやり過ごす。ぎんたは納得したわけではないかもしれないが、今はお気に入りの寝床の一つで眠っている。健人はそのまま私のベッドの上で、安心したように眠っている。寝ていると本当に可愛いだけの奴なんだけどな。ぎんたが絡むといつも以上に噛み猫になる。もちろん対象は私の手だ・・・(T_T)。この状態のまま、時間が過ぎてくれればいいのだが、そうはいかないのが分かっているので、恐くて風呂にも行けない(^^;)
さて、どうしたものか・・・。

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このページは、柿ママが2005年2月27日 23:59に書いた記事です。

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