ぎんたがまたしっこをしないように、言動に気をつける、というのは何だか変?いや気をつけるのがおかしいと思っているのではない。ただ、何と言うか、意識しないとできない、というそこが変な気がしてしまう。
でも今はまずは意識してでもそうしないといけないのか。
私の気持ちにゆとりが無くなりかけている時は余計に。
こうしてぎんたが私の膝で寛いでいるのは、ほっとする。重いけど(^^;)
ひたすら我が道を行くきりも、言いたいことはあるだろう。4月の末で8歳、6月末(2ヶ月でペットショップに出されていたなんて、今考えれば憤慨ものだ)で一緒に暮らして8年。
その間、少しづつ少しづつ、生活が、人生が、猫まみれになっていく私をずっと見守り続けてくれたきり。
謂わば、きりは戦友かな。
ストレスも感じさせた(特にぎんたを保護した頃)、引越しのための移動中に恐い思いもしたことだろう。時折増える面子に戸惑ったりもしただろう。けれどきりはいつだってマイペースで、熟睡後にふいに目覚めては可愛らしく、心細げに鳴いて、私を求め続けてくれる。
自分の許容量以上に一気食いして吐いてしまったこともあったり、食べ過ぎてお腹が緩んだらトイレ後に猫戦車(お尻をカーペットなどに擦り付けながら進む)してくれたり、寝坊したお母さんが中々起きないと最終手段で手や顔を噛んだりと、困ったり、悩んだり、笑っちゃったりすることがたくさんあった。まだまだこれから先が長い、私ときりの付き合い。きりのマイペースさに助けられていくことがたくさんあるのだろう。
どの子とも、もっとゆっくりじっくりまったりコミュニケーションできるなら良いのに。
身体、瞬間的に分裂してくれたら便利かも。ちゃんとその後、元に統合されるという前提付きで(^^;)
構って欲しいタイミングって、何故か皆、集中してるんだもん・・・。
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