後
っていうのとはちょっと違うか。何だろう?不幸中の幸い・・・でもないし、漁夫の利・・・も違う。う~ん、思い浮かばない(^^;)
ま、とにかく、ぎんたがたっぷりおしっこをした座椅子は結局、おとんに洗われたようだ。朝、しまじ達の餌やりに出てみると、干してあった。その座椅子を上手い具合に使って、風除けにし、寛ぐみっき。賢い!!
(^^;)しかしこんなふうに使われて匂いがつけば、また誰かのおしっこなりスプレーなりを誘発する気もする。その前に外の子の誰か、もしくは遠征してきている他所のテリトリーの子がスプレーしていきそうな気もするけれど、みっきの様子を見てしまったら、それをおとんに告げる気にはなれなかった。万一心配したことが現実になったら、それはその時だ。考えずに干した人間が悪い、ということで・・・。
昨日のぎんたのしっこ事件があるので、今日は少し早めに帰ろうと考えていた。帰る少し前から寛いでいる瑠儀とホルの姿を見ていると辛いのだが、そうやってぎんたを後回しにしていたつけが時々返ってくる。しっこされることも、それで文句を親に言われることもやり過ごせる。けれど皺寄せを抱え込んでいるぎんた(まぁ、当猫の問題だからぎんただけが背負い込んでいるわけではないが、感じ方の問題なのだろうから・・・)のことを思うと、やはり辛い。精神的な問題は身体的な問題へ移っていくこともある。そうでなくても、そこまで我慢させていたのかと思うと・・・。予想しても良かったはずなのに、どこかで甘く考えていたのだろう。多少のストレスは溜まっても、ぎんたは大丈夫だ、と。馬鹿だ、私は。
いつもより1時間早く(たったそれだけでもホル達には申し訳ない)帰宅し、まだしまじ達の夕飯PartⅡじゃない時間を利用して、ぎんたとの時間を作る。
2階にあったはずのおもちゃが1階にある。何故?と問うと、ぎんたが昼間、運んで来たのだそうだ。釣竿タイプのおもちゃなので、居間の猫ドアでひっかかってガタガタやってらしい。いじらしくて、可笑しくて、溜まらない。そのおもちゃでぎんたと紗美をじゃらす。なるべくぎんたを中心に、でも紗美もいじけないでくれるように(^^;)。随分経ってから優衣も釣られてやって来た。
しまじ達に給餌をし終わった後も、ぎんたが抱っこして欲しい時に抱っこを続ける。たまたま疲れてちょっと休憩とばかりに座った電源を切ったヘルストロンの椅子。早速ぎんたが「抱っこ希望」の目つきで見上げる。斜めにおかしな座り方をした私にへばりつくように、顎は私の腕に預け、まどろむ。最終的に、体勢の辛さに耐えられなくなったせいで、私がぎんたを降ろすことになったのだが、軽く文句の声をあげながらも、随分満足したかのような様子だったのが嬉しい(^-^)
要所要所でどちらかを選ばなければならない場面はきっとどんなことにおいても、どんな関係(対象が人間であれ、動物であれ、何であれ)においても起こることだろう。絶対的に最優先のものがある場合、時に比較的簡単に選び取ることができるとはいえ、ではその絶対的に優先なものの中で選び取る必要ができた場合、その行為は限りない苦痛を伴う。
天秤にかけられるものではないけれど、それでもやはりそうしなければならない。
だから私は、いつだってパーマンのコピーロボットが欲しいのだ。それがコピーだとしても、コピーであるが故に他の何より私には近い。そしてコピーですら欲しいと思うほどに、私は複数の私が欲しい。
必要な時以外にも複数の私がいたら、正直鬱陶しいと思うけどね(-_-;)
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