寒い!!冷たい!!

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昼を過ぎても冷えるんじゃないだろうか、としまじ達の寝床に日中も湯たんぽを置く。まさか夕方になる頃には積もってるなんて・・・と思ったりもしたけど、ちらちらした程度で、全然積もることはなかった。
それでも寒くて、事務所のドアはあっという間に曇り、結露している。
ホルはもちろんだが、瑠儀も珍しく長く事務所内で眠っている。優衣も然り。

いつものように食餌の準備をし、いつものように事務所で過ごし、いつものように自宅へ戻る。
変わったことと言えば、帰宅したら健人が部屋にいたこと。よく過ごせたなぁ。クロゼットの上段に健人が寛いで過ごせるようなスペースを作ってあるのだが、そこに入り込んでいたからかな。伯母に聞くと、いつの間にか自分で私の部屋へ行っていたらしい(^^;)
それとにばあの祭壇が片付けられていた。びっくりするほど広く感じる。以前はそこにはおばあのベッドがあった。その後は祭壇が今まであったから、こんなに広く感じるとは思わなかったのだ。おばあの骨壷は百か日まで仏壇に置かれる。
あの怒涛の日々、健人はほとんど私の部屋で過ごしていた。だから特に夕飯の時には5匹分の夕食の用意をするのが大変だった。まぁ今だってたいして変わりはないのだけど、餌皿が6枚しかなく、1枚は置き餌用で、いずれにしても毎回忘れずに洗っておかなければいけない(いや当然のことなんですけどね、寝坊やだったり、うっかり屋だったりするもんで・・・(-_-;))という状態で大変だった。と、久々に健人も含めた5匹に食餌を用意していて思い出した。
最後におばあの意識がある時に会ったのは、おばあが昏睡状態になる何日前だったか、とか、2、3日前に会ったのが最後だったけど、臨終に立ち会えたのだから幸いだったのだ、とか、考えていると不意に悲しくなってしまった。半分は気付き、半分はそんなことはないと思っていたが、やはりそうだった。私は猫にかこつけて、「おばあとは今でも繋がっているからもう悲しくはないのだ」と思い込んでいたのだ。悲しみを反芻したくないからなのか、反芻などしている暇がないからなのか・・・。「繋がっているから云々」は半分は正しいと思っている。おばあと私にはそういう絆がきっとある。けれど多分、人という生き物として、時には思い出して感情の赴くまま涙を流すことも大事なのだろう。
どうしても気持ちを抑えられなくなったら、そうすることにしよう。
やはり私にはその余裕はない。これから先、おばあに死を思い出し涙してしまったら、今も待ち続けている猫達のことにまで思いを巡らし、泣いてしまう気がする。それは絶対に嫌だ。少なくともまだまだ今は。
泣きたい時には泣く、泣きたくない時には泣かない。それは昔も今もこれからも変わらない。泣きたくない時の方が、泣きたい時よりも遥かに機会が増えたとしても・・・。泣きたくなくても、泣いてしまう時すらあるのだから・・・。

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このページは、柿ママが2005年1月16日 23:21に書いた記事です。

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