おばあ、逝く。

hare.gif
25日記。
H伯母が寝酒を・・・と言ってきた。疲れはかなり溜まっているだろうに、だからこそ、そして今の精神的緊張状態では寝付けないのだろう。既に娘のY子は到着し、旦那は県内の実家へ戻っている。
私も話し相手ができて、きっと安心したのだろう。色々なことを話した。が、実はもう何を話したか覚えていない(^^;)。おばあのことだったのは確かだと思うが。

明日以降、何がどうなるか分からないが、私の日常、少なくとも猫達に関わることは変化させられない。それを踏まえた上で、身動きの取り易い荷造りをする。必要最低限のものをいつもより使い易いバッグに入れ替えていると、おかんからの電話が入った。「脈拍が下がってきとるから、家族の人を呼んだ方がいいって言われた」と。H伯母とY子を起こし、外出の支度を整え、外に出ていたおとんにも連絡を入れる。

おばあの脈拍は既に30を切るまでになっていた。昨日の昼間と同じように、伯母は「ばあちゃん、もう起きんば!!」と耳元で叫ぶ。おかんもY子も呼びかける。醒めているのか、私一人立ち尽くす。会えなくなるのは寂しいし、まだまだしまじ達を見ていて欲しかった。けれどやっぱりもう十分だよという想い、「死」への考え方と、既にこの時を恐らくはおかん達よりも受け入れていたがために、私には涙ぐむことと、おばあの手を握ることしかできなかった。
おばあの脈拍が一気に下がり、0になる。おかんの悲鳴に似た声とY子のうろたえた声が重なる。次の瞬間、一気に90代に戻る。訳が分からないまま、また0に。それがもう一度繰り返されただろうか。「あぁ、こうして息を引き取るのか。最後の強い吐息にも似た反応なのか」とやはり醒めたまま考える。握ったおばあの手に力が入る。「あぁ、もう最後だ。もう脈拍もこの後は戻らないのだ」
未だ信じられぬ様子の伯母と泣き崩れるおかん。先生が脈拍と瞳孔を確認し、時間を告げる。1:07。それが、おばあの身体が生きることを止めた時間。

既に心に決めていたように、私は誰よりも動かねばならない。おかんへの負担が少しでも軽くなるように。おばあの身体が清められている間に、K伯母、その息子家族、娘夫婦へと連絡を入れる。時間も時間ということもあって、中々連絡がつかなかった。弟家族へはおかんから何とか連絡がついた。そしてA叔母へとおとんが連絡する。残念ながら、おとんは臨終には間に合わなかった。
そして葬儀社への連絡。月曜が友引だから、今夜は仮通夜となり、告別式は明後日の火曜になることは分かっていた。全て斎場で執り行うことを決意した時から、おばあを家から送り出すことは諦めざるを得なかったけれど、逆に友引のお蔭で、一旦おばあを家に連れ帰る決心ができた。

何より遺族が辛いのは、悲しみと痛みがまだまだ強い中、葬儀に関わることを決定しなければいけないこと。何よりそのしんどさからおかんを引き離したかったのに、これこそおかんが一番に関わらなければいけない部分だということに、今まで気付いていなかった。考えれば分かることだったのに。
おばあを入れる棺も、飾る祭壇も、そして骨壷も、結局はおかんやH伯母がどうしてあげたいか、が何より大事なのだ。もちろん金銭面的な括りもあるから、また一層決めることがしんどくなる。できるだけ、決め易いように言葉を挟みはしたものの、やはりこの時が一番しんどかったと、後からおかん自身が漏らしていた。
一通りの内容と手順が決まり、遺影にしてもらいたかった写真を渡し、必要な書類を代筆し、やっと家族だけになる。伯母を休ませ、おかん、Y子と少し食事をし、交代で線香の番をする。

早朝から枕行をお願いし、私はその間にきり達、しまじ達、そして瑠儀達の食餌を済ませる。瑠儀達に至っては、いつも通りの食餌を出してやれた子達と、間に合わず置き餌をしなければならなかった子達とに分かれてしまった。ただ助だけは、カリカリなどは食べられないため、いつものようにカルカンデリカをペースト状にし、隣のおじさんに「見かけたら、出してやって欲しい」旨と、助が一番安心してご飯を食べる場所を伝え、ジャニスにもお裾分けのデリカを渡しておいた。お蔭で、助は昼前に2/3ほど食べて行ったそうだ。手伝いをしてくれるつもりでいたA叔母と共に事務所を出、必要な買出しを済ませ、自宅に戻る。既に飾り付けがされていた。昼ご飯を済ませ、きり達の世話に戻る。超びびりんの健人は夜中から既に伯母宅に戻りたがらず、ぎんたが恐いものの、私の部屋で過ごしている。たまは普段は入れない伯母の部屋に篭り場所を作ってもらった。ご飯もトイレも、伯母を説得して、伯母の部屋に設置する。問題はぎんたと健人。考えた末に、おかんに座敷の使用許可を取る。畳の上に式茣蓙を敷き詰め、トイレと水とカリカリを設置し、猫ベッドもいくつか移動させる。部屋割りは私の部屋に、きり、健人、優衣を入れ、座敷にぎんたと紗美。普段は入れない座敷に入りたがる2頭も、様子が違う中、無理矢理に入れられ、自由に出入りできない状態には落ち着かない様子。そして寒くはないものの、やはり温かくもなく、結局コタツも移動させた。私の部屋は日当たりも良いし、ホットカーペットもあるから、きり達には我慢してもらう。コタツの出現で、騒いでいたぎんたも少し落ち着いてくれた。
今度は自分の移動準備だ。A叔母がずっと車を出してくれるし、もちろんそこには私が瑠儀達の食餌の世話をしなければならないことも頭に入れて行動してくれるので、とても助かった。

斎場への泊り込みはやはりおかんがすると言い張る。そうなると、やはり私としても付き合うしかない。寝不足と緊張、疲れでしんどくはあるが、おばあとおかんのためだ。
きり達としまじ達の食餌のために、一旦家に戻る。偶然、おばあの親戚が尋ねて来た。もちろん亡くなったことは朝から連絡してあった。向こうでも息子さん(おばあの甥の息子、って何て言うんだ???)が脳溢血で亡くなったばかりだったそうだ。なので、まさか出てきてくれるとは思っていなかったし、ほとんど付き合いは途絶えていたのだ。一通りの世話の終わらない私は置いていってもらい、叔母に彼らを誘導して斎場へ戻ってもらう。戻って来た時には何とか自分の支度と世話をほぼ終えられていた。

この時点で、喪主となるべき一番上の伯母が到着しており、その後夜は2時まで自分が番をすると言ってくれた。色々と問題もるし、あまりあてにならない伯母ではあるが、これは本当に助かった。既に不甲斐ないことにその時点(夜10時を過ぎていたと思う)で私は控え室の畳に倒れ込んでいたのだった(-_-;)。

月別 アーカイブ

この記事について

このページは、柿ママが2004年11月21日 17:31に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「おばあ、昏睡状態に。」です。

次の記事は「通夜。」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。