おばあ、昏睡状態に。

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25日記。
午前中おかんからの電話で、おばあの意識がなくなったことを知る。事務所は一人で留守番のため、躊躇するが、おかんの動揺した声を聞き、とにかく病院へ向かう。その間に現場のおとん、外出中のA叔母、そしていつもなら病院にいるはずのH伯母へと連絡を取る。
おとんとA叔母は捕まらず、H伯母はちょうどバスに乗るところだった。状況と、急いで病院へ向かうよう伝える。
おばあは、夜「痛い」といつものように訴えており、朝も看護師の人と話をしていた。それが急に意識をなくしたそうだ。おかんが婦長さんから聞き出した予想は「今日中だと思う」というもの。100%ではないにしても、長年の経験からの感触だったのだろう。
おかんと伯母と私の3人で見守っていたが、おかんは店を片付けてくると一旦病室を出た。戻ってくるまでを伯母と話をしたり、ひたすらおばあを見つめたりしながら過ごした。その間に何とか事務所に戻っていたA叔母には状況を話せた。弟夫婦にも連絡を取るが、いずれも携帯は留守電で繋がらず、メッセージだけを残した。
おかんと入れ替わりに事務所へ戻る。明日はおばあの念願だった新しい仏壇が届き、住職に入佛式をお願いしていたのだが、延期となった。仏具屋に残金を支払いに行き、写真を撮らせてもらう。せめて写真だけでも見せることができれば・・・。
事務所へ戻る前に再度病院に寄る。脈拍や血圧は安定している。けれど意識が戻りそうな様子はやはりない。心の中で「いいよ、ばあちゃん。もういい。」と思う。きっとこの光景を魂だけになって見ているのだろう、だとしたら、2人のこの様子はきっとばあちゃんの心を痛めさせているだろうと思う。「自分のためにそがん思いばさせて・・・」と。そういう人だ、ばあちゃんは。それとももしかしたら、あちこちに最後の挨拶に回っているのかもしれない、とも思う。午前中、ルルの様子が少しおかしかった時があるのだ。何か言いたげなのだけれど、ご飯の催促でも散歩ともちょっと違う。確かめようはないけれど、もしかしたらそうだったのかもしれないし、多分そうだと思いたくもあるのだ。
おかんは泊まることになった。H伯母は連れ帰って休ませる。一番上のK伯母は先日、見舞いにも来ているし、今のどちらともつかない状態で県外から呼び寄せても・・・ということで、とにかく連絡があるまで待っていてもらうことに。H伯母の一人娘は、旦那と共にこちらへ戻って来ることになった。
「23:13が今夜の干潮だから」と、A叔母が教えてくれたことを話す。必ずしもその時間だけに集中するわけではないが、何かしら一つの目安になるようなものがあれば、そばに付くおかんにも、私達にも支え(と言うのは変だが)ができる。
そしてその時間、風呂に入るタイミングになってしまった私は、携帯を扉の外に置いて湯船に浸かった。何とかその時間をやり過ごしたのだ、と分かった時にはすこしばかりほっとしていた、と思う。朝から続いた精神的、肉体的緊張が、温かいお湯でほぐされたせいもあったのだろうけれど。

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このページは、柿ママが2004年11月20日 17:29に書いた記事です。

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