それなりに充実していた、と思う。地味だけど。
いつも通りに事務所へ通い、瑠儀達の給餌をし、図書館で読みたかった本を借り、その本に浸って過ごした。もちろんきり達との時間、しまじ達の給餌もいつもと変わらず。
変わったことと言えば、15日の今年の爆竹には、去年はそうでもなかったはずなのに、紗美が誰よりもパニクっていたということくらいか。親戚一同でこもに包んだお供え物を置き場(ここで集められた膨大なそれらはまとめて火葬場などで燃やされる)まで持って行き、夕食を済ませて、一人先に戻ると、既にそれぞれの家庭で作られた船が運ばれて行く時間。4、5人で運べる小さなものもあれば、十数人で運ぶようなものもある。いずれの場合も、道を清める意味合いも含めて、爆竹が鳴らされる。私はこの風習が昔から大嫌いだ。爆竹などで道が清められるわけもないし、心臓の弱い人や赤ちゃんには迷惑以上のものだし、年々常識知らずの気遣い無視人間やガキども(精神的だったり、肉体的にだったりする)が見境もなく道に投げ、派手に、そして頻繁に鳴らす。元々嫌いな上に、分かっていてもやはりあの派手な音には何度もドキリとさせられる。そして今では私は死んだ人間よりも(肉親であろうがなかろうが)、生きている猫達の方が大事なのだ。爆竹やそれを無分別に鳴らす人間には腹が立つ。
白はまだ傍に近付き過ぎると威嚇を一、二度するが、私が美味しいものを食べさせてくれるという認識はしっかりできたようだ。目つきはとても三白眼とは言えないほどに。疥癬や耳ダニが疑わしくもあるが、どんどん綺麗になっていっている。写真はこれでも随分小奇麗になったのだ(^^;)。気にかかるのは、左右の顎下というか、首の辺り。痒くて掻き過ぎかと思っていたが、ちょっと違うような気もする。特に左側は。いかんせん、間に数十cmの距離を保たないと逃げてしまうし、僅かしか触れない。見ようと思っても、白がこちらを凝視するのでは、左の顎下辺りなどそうそうよくは見れない。捕獲器をここで使って病院へ連れ込むかどうか、どんな時も迷う。捕まえ辛くなる、とかそういった心配よりも、ストレスなどを考えずにそこまでする状態なのかどうかの見極めに悩む。
そして誰かが血を吐いていた。誰なのかどころか、猫なのかどうかも分からない。少量ではあるし、今回だけだというならまだしも……。心配だ。可能性のある5、6匹を皆連れて行くというのも現実的じゃないし、可能性といっても、血が吐かれていた場所に行くことのある猫達という程度なのだから、やはり躊躇してしまう。一体、誰なんだ。
もどきが一日来なかった。雨のせいか。それならいいが、最近現に過ごしてはいても、9匹の中では結構年長のはずなので、心配だ。
何だか心配ばかりで気が滅入りそうだ。けど、滅入っていてもどうしようもない。意識して滅入らないようにしないとね。こういう時は、意識して楽しいことでも考えることにしよう(^^;)