久々に読了。

| コメント(0)

hare.gifcry.gif
その前に猫本を読み終わっているのだけれど、どうにもこの本は納得がいかないものだったのだ。文体がまず我慢できない(^^;)。そして、猫への愛情は素晴らしいが、愛するものへの選択として「完全室内飼い」を選んでいる私としては、どうしても抵抗が先に出てしまうし・・・。
きみ、ちゃな、ゴンの失踪、瑠儀達が日々すれすれでかわしている危険-本来の自然界にはあり得ない危険-を思うと吐き気さえすることがある。
だからこそ、次に読んだ本は気分が良かったのかもしれない。猫や犬の本ではない。生命の尊さを掲げた本でもない。でもそこに描かれているのは、そういうものだと感じる。『黄泉がえり』。映画を観て、どうしても「何故、何によって彼らは黄泉がえったのか?」ということをはっきり知りたかったのだ。映画では漠然とした描き方で、焦点は別の部分に当てられていたから(もちろんやはり、生命の尊さというか、人の想いの素晴らしさなのだが)。それがはっきりとし、且つ何というか、とても心が温かくなるような、そんな読了感に満足。世界観というか、生命や死に対する考え方というか、それがとても気に入ったのだ。愛されていた飼い猫も黄泉がえっているという点も気に入った(^^;)。
映画を観てしまうと、読みたいなと思っても中々読まずに終わることが多いし、両方を観、読みするのは私には珍しいのだけれど、これはこの本に呼ばれたのかもしれない。そういうのって、あるよね?本でも映画でも何でも。

おばあが肺炎で入院した。医者に「2、3日がヤマ。会わせたい人には連絡を・・・」と言われたらしい。突然の、そしてあまりのことに、自分の中、それとも外だろうか、どこかに薄く膜がかかったように感じた。色んなことを考える。本当に色んなことを・・・。
けれど、病院に行ってみて、力が抜けた。思ったよりも元気なのだ。寝たまま、またチューブに繋がれて、自分のことが自分でできない(特に排泄)と目を潤ませながら、悔しそうにしていた、かつてのおばあを想像していたのだ。だから、ベッドに起きて座って、話している姿を見た時には、一体どういうことなのか、わけが分からなかった。けれど、老人に肺炎が危ない病気であること、以前から「肺炎にだけはさせないように」と言われていたことを聞くと、まだ安心はできない。もうすぐ92の誕生日なのに・・・。

おばあにまたも「猫(しまじやチロのこと)を頼む」と言われる。伯母がちゃんとやってくれるにも関わらず、心配なのだ。
だから、というわけではないけれど、久々にチロにも夜食をあげた。寝床で丁度休んでいたのだ。夕飯はちゃんと食べているのだから、夜食がなくても大丈夫なのだけれどね。
何だか、やはりおばあがいないというのは、そして医者に言われた言葉は、この家から明るさや元気を僅かながらも奪っている。外来でおばあと一緒に待ち時間を過ごしていた伯母も、隣に座った風邪ひきのマスク無し男性に、風邪を伝染されたようだ。おかんも先日から風邪をひいている。私が伝染してしまったのか、日曜の強行軍で普段からの疲れが出てしまったのか・・・、多分両方なのだろう。そして暖かくなったり、寒くなったりする今の気候。考え始めると気分が沈んでしまいそうになる。こんな時だからこそ、きっと明るくしていないといけないのだ。私よりももっとおかんや伯母の気分の方が滅入っているはずなのだから。

コメントする

月別 アーカイブ

この記事について

このページは、柿ママが2004年3月19日 23:57に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「昨夜の災難から」です。

次の記事は「風の冷たさが、」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。