樹里は、以前も書いたけれど、一昨年(だったはず...多分。もう記憶の時系列もあやふや...(-_-;))の秋だったか冬だったか、別宅の前を通る道に置き去りにされた。そう、捨てられた。飼い主なのか、餌をやっているだけだったのかは判断のしようがないけれど。
何故分かるか?確かに、遺棄の瞬間は見ていない。けれど、その時私は別宅の敷地から道へ出ようとしていたところで、前後の状況と、そこを通ってすぐに戻っていった中年女性の様子から、そうとしか考えられないから。
別宅の子にする気はなかった。結局ほだされて保護してからも、里親探しを考えていた。
しかし猫砂トイレが使えず、紆余曲折の挙句、蓮くんのお蔭で猫砂トイレを使えるようになった頃には、もう里親探しする気はなくなっていた。
いや、別に情が云々ではなく、疲れてただけ...(^_^;)
蓮が私をソファに寝そべらせて(要求するのですよ、しっかりと、鳴いて)、その胸の上で寝るのを見て、「乗ってもいいんだ」的な理解をしたらしい樹里。蓮が乗ってくると、樹里もやってくる日々。
蓮が逝ってしまい、どうするかと思っていたら、樹里なりに「乗りたいな」と要望視線を送ってくる(笑)
保護直後の猫嫌いも随分前になくなって、お気に入りの場所もいくつもあって、私や叔母への要望も、控えめだけれどちゃんとできる子になった。とてもとてもいい子だ。
-ので、あの中年女性には、こんなにいい子を馬鹿みたいに手放してくれてありがとう、と言いたい。樹里に辛い思いをさせたことはやはりどうあっても許せないけれど。-
なんだけど、実は100%、寛いではなかったのかな、と思ってしまった。こんな姿を今更ながらに見せてくれたから。
そりゃぁそうだよね、トートバッグに入れられちゃうくらい、相手を信じ切ってた。そこに裏切りなんてあるはずもなかった。樹里にとっては。見知らぬ場所にいきなり置いて行かれて、訳も分からず必死に鳴いていたあの時の樹里を思い出せば、どんだけ傷ついただろう。
ある程度安心して暮らせる場所に今はいるけれど、次から次に新しい猫が入ってくる時あるし、外猫が具合悪ければ一部屋を隔離部屋にして保護しちゃうし、そうやって酷く具合の悪い子がいればその子が中心のスケジュールになっちゃうし、落ち着かない、甘えたいのに甘えられないってことよくあるもんね。
だから、またしてもちょっと反省。手のかからない良い子ほどついつい、こちらも甘えて、後回しにしちゃったり、我慢させちゃったり。
時間に限界はあるけれど、ほんの短い時間でも、その子だけのための時間をちゃんととらないといけない。分かってるつもりなのにできてないのは、結局きちんと理解ってないってこと...。
樹里に、辛いことあったけどうちに来てくれてありがとう、と思ってることも何度も何度も伝えなきゃ。
どの子に対しても。
言葉ではすべては伝わらないし、何より猫にどこまで伝わるか、って話だけど、でも想いを込めた言葉にすることで、ちゃんと気持ちは伝わる。そのために言葉ってあるのだと思うから。
これをUPして、授業のレポート書いたら、忘れずに樹里に伝えよう。
「愛してるよ。うちに来てくれてありがとう。」