なすびくん、またいつか・・・

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去年、書き納めることができなかった最後の旅立ち。
去年は7匹の子を見送ることとなってしまいました。

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12月16日、叔母宅敷地の外猫だったなすびくんを叔母と二人で看取りました。
強制給餌が必要だったため、私の別宅にその都度連れて来て給餌した後、しばらくのこと。
叔母宅敷地にある寝床に戻すか、それともそのまま別宅の一室に隔離保護するか、散々悩んだ叔母(一室に保護した場合、自分自身も泊まり込むべきでは、と考えたため)を解放するかのように・・・。

一度は自分でご飯を食べ始めるまでになってくれたのに、そこで私は油断してしまったのです。
私も叔母もしんどいこと続きだった、というのは単なる言い訳。しんどくてももっと丁寧にケアすることはできたはず。(この痛い教訓は、今、別宅の隼人と、自宅外猫のうるに活かされているけど・・・)
「もし、たら、れば」なんて意味のない問いだけど、それでも毎回考える。「もしあの時、自力で食べ始めても強制給餌も続けていたら・・・」と。

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ある日、ふらりと現れたなすびくん。
飼い猫も外猫も避妊去勢を済ませてはいるものの、だからと言ってまったくフェロモンが消えるわけではなく、だからよく未去勢の雄達が越境してくる。シーズンが過ぎて、それぞれの気分が治まれば、たいていは自分の家や餌場に戻っていく子達。たまに、その中の1、2匹が居残ったりはするけれど、なすびくんはなんとなく、帰っていく子に思えたのでした。
だから、とりあえず、私と叔母の間で固体認識ができる名前があればいいか、と。ほんの少し他の子達より長めの顔に、「なすび」という名前が浮かんだのでした。今となってはもう少しカッコいい名前にしておけば良かったかな、とも思うものの、でもやっぱりなすびくんはなすびくんなんだなとも思ったり・・・(^^;)
そうして去勢も済み、いつの間にかちゃんと寝床も確保してしまったなすびくん。
思ったよりも年は取ってたのかもしれないけれど、若いこりきのいい遊び相手にもなってくれてたようで。

20120914_nasubi_3.jpg
この記事を書くために画像を探していて、愕然。私の手持ちになすびくんの画像が1枚もない!!
撮ったことあるような気もするのに、もしかしてそれは前のスマホのせいで何度か駄目になったmicroSDに入ってたのかも!?(・・、)と・・・。
叔母がこれだけでも撮っててくれて良かった。そう、今回の画像はすべて叔母の撮影した、なすびくんの面白画像(^^;) メールでその都度送ってくれてたのも駄目にしてしまってたので、あらためて送ってもらいました。
痩せて、強制給餌をしてる間は嫌そうな、でも仕方なさそうな顔をするなすびくんの顔ばかりが思い出されていたので、久々に見たひょうきんななすびくんに、何だか気持ちが救われました。

ご飯を出すのが叔母オンリーになってだいぶ経つので、私がたまに行くと、さっさと敷地の隅に逃げていくなすびくん。留守の叔母の代わりに、ご飯を食べさせるのもなかなか手間(^^;)
ひどいよね、なすびくん。ここにいられるようにしたのは、私じゃないか!確かに、叔母の手間隙かけた餌やりや寝床の用意やケアに比べたら、何と言うことはないけれど。挙句に、去勢に連れて行ったのも私、何かよく分からないもの(レメディ)を無理矢理飲ませるし、ご飯食べたくないのに無理矢理口に(市臨時で)突っ込むし・・・だったもんね。
もっとさ、なすびくんと一緒にいたかったからなんだよ。私もA叔母も。
またこりきと遊んで欲しかったからなんだよ。

ありがとう、なすびくん。私達のところに来てくれて。
そして最期を、二人で看取らせてくれて、ありがとう。
なすびくんは、ずっとそういう気遣いの子だったんだね。
いつかまた、大好きなA叔母とも、ちょっと嫌な私(笑)とも会える。
その時はもう、気遣いしなくていいからね。でも、もうしばらくは待ってて。

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このページは、柿ママが2014年1月22日 15:39に書いた記事です。

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