2014年1月アーカイブ

復活!隼人くん

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年明けあたりから調子が劇悪だった隼人。
A叔母には自分から抱っこされに行くけれど、私には年に数回寄ってくる程度。私がソファから立ち上がれば、どれだけ叔母の膝で寛いでいようとも必ず逃げる...(-_-;)
そんな隼人に、私一人で強制給餌するなんて、隼人の(まぁ、私もだけど...)ストレス度合いが高過ぎる。現在叔母は諸事情によりあまり別宅にいられない。ので、叔母が抱いて宥めて、その間に私が強制給餌という方法は難しい。
悩んで悩んで、悩んだ挙句、私は隼人の体力と自己治癒力に賭けることにした。正直、負けるかもしれないとも思った。そのくらいの状況だったけれど、強制給餌のデメリット(あくまでも私の少なく拙い経験からだけのもの)と比べた時、「しない」という選択もありなのかも、と。

カリカリや缶詰は食べられないものの、好きな生魚に反応してくれたので、毎日鯵や鯛にレメディやマザーチンクチャーをかけて食べさせ続け、飲み水にもレメディやMT、ブドウ糖を入れること数日。いつの間にか、匂いや味の濃い缶詰には反応してくれるようになり、ちょっとだけ安心。生魚と缶詰を並行させ、もちろんレメディやMT、ブドウ糖は続ける。今も。あ、生魚は基本的にはなし。缶詰もカリカリも食べてくれるようになったから\(^▽^)/
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食事も寝床に運んでいたけれど、3日ほど前からは以前のように、自分からご飯を待つ場所で待機するようにまで回復。
正直、ここまで回復するとは思ってなかった。覚悟を決めかけてたところもあった。今年最初に見送る子は隼人なのかも、と。

隼人は残っている体力で体調の悪さに勝つことができた。ホメオパシーの助けもすごかったのだろうけれど、最後は結局その個体の体力と自己治癒力がものを言う。
蓮や隼人はホメオパシーの素晴らしさと、何より怪我も病気も本猫(もしくは本人)が治すのだ、ということをまざまざと見せてくれた。本当に、生きる力ってすごいなぁ、と。
それをもっとサポートできるようになりたい、と隼人くんと、そしてケアしきれず、力尽きてしまったうるが私に一つの宿題を残してくれた。それをどうするかは、私次第だけど...。

去年、書き納めることができなかった最後の旅立ち。
去年は7匹の子を見送ることとなってしまいました。

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12月16日、叔母宅敷地の外猫だったなすびくんを叔母と二人で看取りました。
強制給餌が必要だったため、私の別宅にその都度連れて来て給餌した後、しばらくのこと。
叔母宅敷地にある寝床に戻すか、それともそのまま別宅の一室に隔離保護するか、散々悩んだ叔母(一室に保護した場合、自分自身も泊まり込むべきでは、と考えたため)を解放するかのように・・・。

一度は自分でご飯を食べ始めるまでになってくれたのに、そこで私は油断してしまったのです。
私も叔母もしんどいこと続きだった、というのは単なる言い訳。しんどくてももっと丁寧にケアすることはできたはず。(この痛い教訓は、今、別宅の隼人と、自宅外猫のうるに活かされているけど・・・)
「もし、たら、れば」なんて意味のない問いだけど、それでも毎回考える。「もしあの時、自力で食べ始めても強制給餌も続けていたら・・・」と。

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ある日、ふらりと現れたなすびくん。
飼い猫も外猫も避妊去勢を済ませてはいるものの、だからと言ってまったくフェロモンが消えるわけではなく、だからよく未去勢の雄達が越境してくる。シーズンが過ぎて、それぞれの気分が治まれば、たいていは自分の家や餌場に戻っていく子達。たまに、その中の1、2匹が居残ったりはするけれど、なすびくんはなんとなく、帰っていく子に思えたのでした。
だから、とりあえず、私と叔母の間で固体認識ができる名前があればいいか、と。ほんの少し他の子達より長めの顔に、「なすび」という名前が浮かんだのでした。今となってはもう少しカッコいい名前にしておけば良かったかな、とも思うものの、でもやっぱりなすびくんはなすびくんなんだなとも思ったり・・・(^^;)
そうして去勢も済み、いつの間にかちゃんと寝床も確保してしまったなすびくん。
思ったよりも年は取ってたのかもしれないけれど、若いこりきのいい遊び相手にもなってくれてたようで。

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この記事を書くために画像を探していて、愕然。私の手持ちになすびくんの画像が1枚もない!!
撮ったことあるような気もするのに、もしかしてそれは前のスマホのせいで何度か駄目になったmicroSDに入ってたのかも!?(・・、)と・・・。
叔母がこれだけでも撮っててくれて良かった。そう、今回の画像はすべて叔母の撮影した、なすびくんの面白画像(^^;) メールでその都度送ってくれてたのも駄目にしてしまってたので、あらためて送ってもらいました。
痩せて、強制給餌をしてる間は嫌そうな、でも仕方なさそうな顔をするなすびくんの顔ばかりが思い出されていたので、久々に見たひょうきんななすびくんに、何だか気持ちが救われました。

ご飯を出すのが叔母オンリーになってだいぶ経つので、私がたまに行くと、さっさと敷地の隅に逃げていくなすびくん。留守の叔母の代わりに、ご飯を食べさせるのもなかなか手間(^^;)
ひどいよね、なすびくん。ここにいられるようにしたのは、私じゃないか!確かに、叔母の手間隙かけた餌やりや寝床の用意やケアに比べたら、何と言うことはないけれど。挙句に、去勢に連れて行ったのも私、何かよく分からないもの(レメディ)を無理矢理飲ませるし、ご飯食べたくないのに無理矢理口に(市臨時で)突っ込むし・・・だったもんね。
もっとさ、なすびくんと一緒にいたかったからなんだよ。私もA叔母も。
またこりきと遊んで欲しかったからなんだよ。

ありがとう、なすびくん。私達のところに来てくれて。
そして最期を、二人で看取らせてくれて、ありがとう。
なすびくんは、ずっとそういう気遣いの子だったんだね。
いつかまた、大好きなA叔母とも、ちょっと嫌な私(笑)とも会える。
その時はもう、気遣いしなくていいからね。でも、もうしばらくは待ってて。

みなとは自宅の外猫だった子。
突然道路を挟んだ向かいに現れた子猫。しかし保護する余裕もなく・・・。
母が頑張って、こちら側に呼び寄せた結果、何とかうち(自宅)の敷地に居着かせることに成功。
のらの子だったはずなのに、いつのまにやらでれでれだらだらの人間好きになってしまった・・・・・・(- -;) 何故!?
抱かれたら抱かれたままだら~~~。落ちそうになっても爪を引っ掛けることなく、しかし顔にすりすりしたがる。先輩外猫達に甘えたがり、嫌がられ、怒られ、蹴り剥がされても、お乳にしゃぶりつく( ̄▽ ̄;)
飼われればきっとどんな人にも気に入られるだろうに、と思っていたところに里親さんの話。
それから準備の為に、別宅へ保護。
この子の特徴は、まずどんな場合もほぼ爪を出さないこと。そして大変、空気が読めない(笑)
KYのみなとくん、誰彼構わず寄って行っては怒られ、逃げられ、それでもまったく何も気にしないので、結果、根負けした子達が被害に・・・。
特徴の最後の一つが、どうやら年の離れたお兄ちゃんおねえちゃん猫が好きらしいこと。
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当初怒っては離れていっていた瑠儀も、諦めモードが入りつつあります・・・( ̄□ ̄;) 大丈夫か!?瑠儀!!

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