結局、年末の挨拶回りもできないまま、怒涛のような年の瀬を過ごしてしまった・・・。
日記で挨拶なんて手抜きだけど、皆さん、お許し下さい。
もどきは結局姿を見せないまま、そしてお隣のジャニスの行動の変化を考えるに、もどきとはもしかしたら今生では会うことはないのかもしれないと胸が苦しくなった暮れ。もちろん私はきみ、ちゃな、ゴンと同じように、もどきのことも待ち続けるだろう。理性でもなく感情でもなく、言葉で表すのは難しい別の何かの部分がただ待ち続けることを望んでいる。認めたくないから、なんて単純なものではない。理性のどこかでは諦めている部分もある。それでも、私はもどきを待ち続ける。
チロはおばあの後を追って行ったのではないか、などと考えたりもした。おばあの葬式の少し後、チロはいつも以上に甘えたそうだった。寂しそうでもあった。だから、おばあに手を合わせる時、「どうかチロとまた会わせて。まさか追いかけて行ってないよね?」と心で語りかけた。その反面、本当にチロがおばあを追って行ったのなら、それも仕方ないという気持ちもあった。チロはおばあに懐いていたから。チロが1週間以上姿を現さないことを知ったおかんさえ、おばあに「チロはどがんしたとね。チロば探してきてよ」と祈っていた。
そのチロが今朝、ついに姿を現した。伯母が教えてくれた。確かにチロだったと言う。夕飯にも来たそうだ。私は結局会えず終いの一日だったけれど、ちゃんと食餌をしていったという話に、気付かずにいた心のしこりがほぐれるのを感じた。良かった。いつか私より先におばあの元へ逝くだろうチロ(チロに限ったことではないが・・・)。けれどまだまだ今は早過ぎるよ、ね?チロ。
どの子のことも、自分の目で亡骸を確認したのでなければ、私はひたすらにその子を待ち続けるだろう、これから先も。どこかでご飯をもらって、もしくは飼われて生きているなんて、愚かしい期待をしているわけではない。そんな世の中なら、毎日保健所や人知れぬ場所で息絶えていく子達がこんなにもいるはずがないのだから。だからそんなことは考えない。そうあってくれればいいという気持ちが露ほどもないとは言わないが、そんなことは抜きにして、ただ待つのだ。
泣いてしまいそうな時だってある。けれど決して泣かない。泣いた時は、結局のところあの子達の不在を、死で片付けてしまったことになるから。
な~んて、じめっとしたことを暮れの忙しい時に、じゃがいもを向きながら、はすを切りながら、うまに用に切った具をそれぞれ袋詰めしながら、考えてしまっていた。そんなふうに袋詰めされたうまにの具は、何十もの家庭で(おかんと二人、200袋くらいは作ったみたいだからな)どんな味がしたのだろうね・・・。
みっきは、避妊手術後の方が警戒が緩んだみたいだ。撫でさせてくれることが増えたし、撫で方もそろっとという感じよりはもっと強めなのに、即座に逃げるという反応がかなり減った。お腹は涼しいだろうに(^^;)、元気だし、しまじやサヴァにちょっかいを出してみたり、用意してある寝床で寝てみたりと、手術前の心配を考えると嘘のようだ。やっぱり一歩踏み出して行動することがどれだけ互いにとって良い結果を導くか、ということだなぁ。とはいえ、やっぱりいっつもいっつも心配ではあるよ、皆のことが。愛しているんだから当たり前だけどさ。
事務所の朝夕の餌やりの間、正月ということもあって、一旦家に戻っていたのだけれど、我ながら驚くことが一つ。
私が嫌いな「北の国から」の再放送があっていたのだけれど、何故か観てしまった・・・(-_-;)。倉本聡氏の作品がまず好きじゃない。そしてあの歌、加えて何だかいじいじとしたモノローグ・・・駄目・・・だったのだ、かつては。申し訳ないが、虫唾が走ると言ってしまえるほどに。
今回も観れたのは「遺言 後編」だけなので、比較的前向きになっていくシチュエーションだったから良かったのかもしれないし、私自身が年を取った、心境にいろいろな変化があった、等々、理由はいくつか考えられるが、でも多分年を取ったことでの心境の変化というのが一番大きいのかもしれない。
でも本当にびっくりだ、どうしても最後まで観たいと思ってしまったのには。かつて大学時代に付き合っていた大好きな彼が、ビデオに撮るほど好きだったのだが、その時でさえ毛嫌いしていたし、彼に向かってもそう言っていた(^^;)。どんなに好きな相手、尊敬する相手でも、ドラマや映画、本といったものは私にとって精神的な食事だから、嫌なものは譲ることさえできないのだ。譲ることのできる範囲で試してみて、面白かった、素晴らしかったものももちろんあるが、譲れないものは譲れない。そして「北の国から」は決して譲ることのできないドラマだったというのに・・・。
この驚くべき変化、色々考えさせられる。驚きながらも、笑ってしまう出来事だったが。
明日は高校時代の演劇部仲間と年始会。朝から考えてきちんと行動していかないと、下手をすると飲み会が終わる頃に店に到着という羽目に陥ってしまう。何があっても、まずは猫、という生活の私にはちょっとばかりしんどいスケジュールだが、年に1回(去年は都合で開催できなかったが)、長年続けてもらってきた行事だから、できるだけ長い時間参加したい。かつて、東京・大阪で働いていた頃は、忙しさと疲れを理由にサボっていたくせに・・・(^^;)
今年の参加は少人数だけれど、楽しんでこようと思う。
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