夜中に、

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何だか足の辺りがとても窮屈に感じて、寝返りを打ちたかった私は、思い切り足を動かした。ごつん。健人がベッド脇のストッパー(布団のずり落ち防止)にぶつかった(^^;)。窮屈だったのは、足―膝の脇辺り―の両端に健人(左)、ぎんた(右)がくっついて眠っていたせいだったらしい。
健人はそのままベッドを出ていった。謝る私の手をがしがし噛んで(T_T)。
しかし驚きだ。それだけの近距離で健人とぎんたが寝ていたことに。昨日の朝、寝ていた健人を撫で撫で撫で撫で。普段なら噛み付いてきそうなタイミングでも噛み付く気配がない。やはりおばあ・伯母宅にフェリウェイを設置した効果だろうか。

天気が良いのに、もっぷが朝ご飯をサボる。それでも「日に2回」というのは彼女なりに決めているらしく、1回目をどんなに遅く取ろうとも、2回取る(^^;)。ま、それはそれでいいのだけれどね。
最近にしては珍しく、助が食餌に来なかった。
自宅ではサヴァが姿を見せてくれない。調整しながら置き餌もしているが、それを確実にサヴァが食べているとは断言できない。土曜日の点眼点鼻をかなり嫌がっていたので、私のいない隙に食べようと思っているのだろうか?それならそれでもいいけれど・・・。食べてくれることが一番だから。

ちょっと悲しく、腹立たしいことがあった。友人のお姑さんが飼っている犬が、末期の心不全だったのだ。末期というからには、随分以前からその兆候、いやはっきりとした症状は出ていたのだ。が、飼い主であるお姑さんは治療することなど考えもしなかったのだ。内緒で病院へ連れて行った友人に激怒したらしい。
こんな飼い主がいることは頭では十分理解している。そしてそれが田舎であればあるほど、まだまだ多いだろうことも。が、こうして実際に身近で起こると堪らない。どうして生命あるものとして考えられないのだろう?一生懸命お寺に通ったりする年配の人達を見て不思議に思う。ただ通うだけなのか?訓えは何のためにある?
きっとそんなことを言っても無意味なんだろうな、そういう人達には。別に年齢や性別、そういった問題でもないし。
それでもそんな人達が、子供や孫に、生命を大切にとか、人に優しくとか、どうやって教えていくのだろう?いずれそれが我が身に降りかかった時に、思い起こすことがあるだろうか?自分が生命あるものをないがしろにしたことを、踏み躙ったことを。
少なくとも、その犬にとって幸いだったのは友人がそこへ嫁いだこと。できることは僅かだと言われたそうだが、それでも少しは楽にしてあげることができた。短いかもしれないが、これからの日々を愛情を持って接してくれるものがいる環境で過ごすことができる。飼い主である姑の態度も考えも変わらないだろうけれど、彼女は決してへこたれたりしないと思っている。こんなことを書いているのを読んだら、余計なプレッシャーかもしれないけれど、それすら障害にはならない女性だと思っている。頑張れ、Kちゃん。
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このページは、柿ママが2004年5月24日 23:15に書いた記事です。

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