2013年7月アーカイブ

7月20日、つばさ、旅立ちました。
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自宅の外猫時代を過ごし、巨大結腸のため、別宅の飼い猫となって約4年半。
たくさんの可愛い姿を見せてくれたつばさ。
「可愛い」と声をかけると、いっそう可愛い仕草を見せるのが可笑しく、そして本当に可愛くて、叔母と一緒に「可愛い、可愛い」と言っては笑っていました。
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ホメオパシーのお陰で、下剤からもずいぶん解放され、病院で浣腸をお願いするのも間が1年も空き、といい方向に向かっていたのですが・・・。きりが体調を崩すよりも少し早く、食欲が落ち、血尿が出ながらも、微妙に持ち直したかと思いかけたところで、いきなりがくんと状態が落ちたつばさ。
毎度毎度、自分の反応の鈍さに情けない。「たられば」なんて言っても何にもならない、と何度も思い知ったはずなのに・・・。
旅立ちの日の夜中、力無いにも関わらず、用意したスープを飲みたがったつばさ。私自身の体調の悪さでどうしても泊まれなかったものの、1時までスープを飲ませ続けることができたのは、少ない救いの一つ。
ただただ、最期の瞬間にそばにいてあげられなかったことが悔やまれます。自宅と別宅の行き来では、それは致し方ないこととはいえ・・・。

今日になっても信じられません。確かに覚悟もあった。けれど、つばさのために用意したいくつもの餌。必ずつばさを起こしていた私のお昼のお弁当。つばさを下剤からほぼ解放してくれたホメオパシーのレメディの瓶。たまにあげるささみの蒸し焼き。
そんなアイテムのいくつもを見て、「つばさにあげなきゃ」「つばさに気づかれないように・・・」「つばさに今日は何回飲ませたっけ?」「つばさの分も残しておかなきゃ」と、自然に思っては、つばさはもういないことを思い出す。
きっと当分そうなんでしょう。今まで、どの子に対してもそうだったように。そしてこの先のどの子に対してもそうであるように。

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今、つばさを埋葬してから初めて泣けてきました。
何故か泣けなかった。きり、つばさと続けざまだったことで気持ちが麻痺してたのでしょうか。
やっと泣けた・・・。
泣けても泣けなくても、失った寂しさも悲しさも別に変わりはしないのですけど、何となく、これで一区切りがついたような気もします。
もう「可愛い」の声に反応するつばさを見ることもないし、毎日「うんち出たの?」と触診することもない。触れることのできない寂しさはこれから先いつになっても、不意に訪れるのですが、もうつばさが便秘に苦しむこともないのだと思うと、それは「良かったね」と言ってあげたくなる。怪我して調子が悪かった足ももう何も問題はないのだし。

つばさ、しまじやサヴァや文殊にはもう会えてるね。また昔の外猫時代のように、仲良く陽だまりでごろ寝してるのかな。
ずっと頑張ってくれてありがとう。
みんなで仲良く待っていて。いずれまた会えるから。

昨夜、私の初めての猫、きりが旅立ちました。
強制給餌を初めて4日、やったことのない母も協力してくれてのことでしたが、始めるのが遅過ぎました。
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きりはペットショップから来た子。それも血統書を持つアメリカンショートヘア。今の私からはあり得ない出逢いですが、その時の私には知識がほとんどなく、捨て猫を拾えないなら、短絡的にペットショップと思ったのです。
だからこその出逢い。
きりとの出逢いがなければ、その後大阪でぎんたを保護することもなく、今のような猫ばか人生を歩むこともなかったのかもしれません。
東京・神奈川から始まり、大阪、長崎と、私に振り回されたきり。けれどその時その時を受け入れてくれてたきり。
ペットショップに行く前に、猫と暮らそうと決心する前に、その短いとは言えない時間を、責任持って過ごすことができるだろうか、と悩みました。
猫と暮らしたいと思わせた友人の愛猫が当時16歳。少なくとも、16年は一緒に生きていくのだ、本当に最期まで愛し、守っていくことができるだろうか、と。実際、より愛し、より守られていたのは私でした。
あっという間過ぎた16年。そして長崎に戻ってからの怒涛のような猫ばか人生。あっと言う間に増える四足家族。不満はないけれど、もうこれ以上四足家族は増えなければいいときりは思っていたようです。飼い猫以外に外猫もおり、さらには別宅などというものができ、特にこの1年は日々帰りが遅くなっていたから余計にそう思ってたかも・・・。
実際、どんな気持ちでいたのかな、きり。「それが私のお母さんだから仕方ないよね」と思っていてくれたのかもしれないけれど・・・。

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旅立ちの日の昼間のきり。もう痩せ切ってしまい、寝返りを打つのも一苦労。何度か鳴きかけてきたきり。給餌の傍ら、パソ仕事するんじゃなく、もっときりに寄り添っていれば良かった。
そして最期の瞬間に、私は間に合わなかったけれど、母が看取ってくれたことは救いです。一人で逝かせずに済んだ、と。母には心から感謝します。

ありがとう、きり。
誰にも順番はつけられないはずだけど、それでもやはり一番はあなただったと、今はっきり分かる。
またいつか会おう。待っていてね。愛してるよ、きり。

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