7月20日、つばさ、旅立ちました。
自宅の外猫時代を過ごし、巨大結腸のため、別宅の飼い猫となって約4年半。
たくさんの可愛い姿を見せてくれたつばさ。
「可愛い」と声をかけると、いっそう可愛い仕草を見せるのが可笑しく、そして本当に可愛くて、叔母と一緒に「可愛い、可愛い」と言っては笑っていました。
ホメオパシーのお陰で、下剤からもずいぶん解放され、病院で浣腸をお願いするのも間が1年も空き、といい方向に向かっていたのですが・・・。きりが体調を崩すよりも少し早く、食欲が落ち、血尿が出ながらも、微妙に持ち直したかと思いかけたところで、いきなりがくんと状態が落ちたつばさ。
毎度毎度、自分の反応の鈍さに情けない。「たられば」なんて言っても何にもならない、と何度も思い知ったはずなのに・・・。
旅立ちの日の夜中、力無いにも関わらず、用意したスープを飲みたがったつばさ。私自身の体調の悪さでどうしても泊まれなかったものの、1時までスープを飲ませ続けることができたのは、少ない救いの一つ。
ただただ、最期の瞬間にそばにいてあげられなかったことが悔やまれます。自宅と別宅の行き来では、それは致し方ないこととはいえ・・・。
今日になっても信じられません。確かに覚悟もあった。けれど、つばさのために用意したいくつもの餌。必ずつばさを起こしていた私のお昼のお弁当。つばさを下剤からほぼ解放してくれたホメオパシーのレメディの瓶。たまにあげるささみの蒸し焼き。
そんなアイテムのいくつもを見て、「つばさにあげなきゃ」「つばさに気づかれないように・・・」「つばさに今日は何回飲ませたっけ?」「つばさの分も残しておかなきゃ」と、自然に思っては、つばさはもういないことを思い出す。
きっと当分そうなんでしょう。今まで、どの子に対してもそうだったように。そしてこの先のどの子に対してもそうであるように。
今、つばさを埋葬してから初めて泣けてきました。
何故か泣けなかった。きり、つばさと続けざまだったことで気持ちが麻痺してたのでしょうか。
やっと泣けた・・・。
泣けても泣けなくても、失った寂しさも悲しさも別に変わりはしないのですけど、何となく、これで一区切りがついたような気もします。
もう「可愛い」の声に反応するつばさを見ることもないし、毎日「うんち出たの?」と触診することもない。触れることのできない寂しさはこれから先いつになっても、不意に訪れるのですが、もうつばさが便秘に苦しむこともないのだと思うと、それは「良かったね」と言ってあげたくなる。怪我して調子が悪かった足ももう何も問題はないのだし。
つばさ、しまじやサヴァや文殊にはもう会えてるね。また昔の外猫時代のように、仲良く陽だまりでごろ寝してるのかな。
ずっと頑張ってくれてありがとう。
みんなで仲良く待っていて。いずれまた会えるから。