何だか、このブログ、猫達とのお別れ記録になりつつあります・・・。
今年、とうとう飼い猫・外猫を合わせて、4匹目を見送ってしまいました。
たまきくん、ごめん。
A叔母からたまきくんがあまり食べなくなったと聞いた時、ちゃんと様子を見に行けば良かった。その時点では気づけなかったとしても、もっとこまめにきにしなければいけなかったのに。
続けざまに飼い猫達の体調不良に翻弄されていた私は、外猫にまで気を回せなかった。何でただのわがままで、食べないんだと思い込んだんだろう・・・。
もうそんなこと今さら言っても、何の役にも立ちはしないね。
胸に膿が溜まり始めて、1ヶ月は過ぎてしまったであろう頃、外出した叔母の変わりに餌やりに行った私。何となく息が荒い気がすると気づいたものの、病院で針を使っても抜けず、抗生剤と利尿剤に賭けてみることに。
その後、別宅の一室を看病部屋にし、投薬と強制給餌を開始。途中、投薬が体力へのダメージ以上の効果をあげているとは思えず、ホメオパシーに切り替え。
レメディはたまきくんの助けになっているように見えた。別宅に泊り込んだ叔母の体の上を、夜中乗り越えて移動したり、外や他の部屋の様子を気にしてみたり。暑い日にはきつそうだった息遣いも、穏やかになってみたり。
だから今朝、箱の中に丸くなって入ってる姿を見ても、「そんなふうにして寝れるようになったんだ」と一瞬喜んだのでした。
昨夜、嫌な一瞬はあった。かつて亡くなった子を髣髴とさせる瞬間が。けれど、そんなわけない、まだまだ大丈夫、体力さえ持てばまだたまきくんは頑張っていける、とも。
何がいけなかったんだろう。自分を責める意味ではなく、本当に何故なのか、ただただ知りたい。
一時はこんなにふくよかだったたまきくん。
実は叔母宅の近所のうちの飼い猫「たま」だったたまきくん。
叔母宅の敷地でご飯食べて、うちの別宅の庭でも寛いでて、寝床は叔母宅のを使ってて、去勢手術も私がして、で、「たま~に」家に帰ってたらしいたまきくん。
正直、名ばかりの飼い主だったおばさんのことはどうでもいい。彼女が人に怪我をさせられたたまきくんを連れ帰ってくれたから出逢えたのだとしても、彼女が外出自由な飼い方をしていなければ・・・と思ってしまう。そうなれば、たまきくんには出逢えなかったけど・・・。
まだまだ若かったであろう子がこうして逝ってしまうのは、より辛い。
たまきくん、力不足でごめん。気づいてあげられなくてごめん。
また元気に走る姿を見たかったよ。そうなるって、思ってたのに。
でももう苦しくないね。思い切り息ができるし、走り回れるし、木にもまた登れる。
たまきくんの助けになれなかった私だけど、いつかまた会う日に、待っててくれるかなぁ・・・・・・。
何だか今回の記事はかなり読み辛いのではないか、と。すみませんm(_ _)m
実は我ながら混乱してるのかもしれません。後悔ばかりというわけではないのです。その時点その時点で、一番と思われる判断をしたとは自分でも思ってます。最初からホメオパシーにしていれば、という気持ちは確かにありますが、それでこの結末が変わったのかは自信ありません。
ただ、恐らくはせいぜい4、5歳の子を、こうして逝かせてしまったということが、かなりショックなのだと・・・。子猫を逝かせてしまったことはありますが、それとはまた別の類のショック。
別宅の飼い猫に、日中外出している子がいる私に言えたことではないのですが、猫を飼うならば、皆さん、完全室内飼いにしてください。外には危険が多過ぎます。外が自由、なんて幻想です。外で生きなければいけない子達はその時間のほとんどを大きな、数多のストレスにされされているのです。
飼い猫を愛しているならば、守れるものからは守ってあげてください。