ゆず、これからもずっと家族だよ

猫がいる別宅

年の瀬も押し迫ってきた25日、別宅に1匹の痩せたお年寄りと思われる猫が増えた。その5日前にいきなり母の店に現れた時は首輪をしていたと。
翌日、私が会った時はその首輪もなかった。
痩せてるわ、涎とそのせいでの汚れも凄いわ、食べたいけれど固形物を普通に食べるのは難しいという悩ましいパターン。数日は何とか店で柔らかいものやお湯を混ぜたりで遣り繰りしてたのだけど、ついにどれもこれも食べようとしてはやめるを繰り返す状態に。
はい、もう別宅行き決定。いや、その前から覚悟はしてた。年の瀬に店で手をかけるのは無理すぎるから。母はもう『最期を看取るつもりで』って言うけど、私は諦めてなかったし、むしろこの子は復活できると思ってた。
思ってたんだけど、母の方が正しかった・・・。

もう汁物しか無理で、それも匂いすら嗅がなくなっていって。
でも冷たいところにばかり行くってわけでもなく、ヒーターで温まったりもするから、今を乗り切れれば・・・、と最期まで思ってたんだよね。
←これは寛いでるところ。ちゃんと生きてます(^^;)
途中、店で世話するからとつけた『ゆず』と言う名がしっくりこず、かって居た『太陽』に雰囲氣も体格も似てるから、「『サンジ』ってどうかな?」なんて本猫に相談してみたり。
顔を撫でた手を手枕にして寝るゆず。手をどかすと、戻せとばかりに催促してくる。可愛い、いじらしい。
前に飼われてた家で、それなりに可愛がってもらってたんだろうな。

店は例年よりも忙しく、27から31までずっと忙しいままで、じっくりとゆずに時間を取ることはできなかったけれど、できるだけ一緒に過ごし、そして年を越し、ゆずは逝った。『もういいよ、十分だよ』とばかりに。

連れて来ない方が良かったのか?、一瞬過ぎった思い。けど、そうではない。そうじゃないことを私もゆずも分かってる。もう一度外に出たいとゆずは思っていただろう。私も元氣になれば、という氣持ちはあった。
ゆず自身は、もう出ることもない、と開けた窓の外の空氣を嗅いだ時に分かっていたんだな、と感じる。だからこそのあの切なげな鳴き声だったのか、と。

8日間だけの家族。でもこれからもずっと家族の中にゆずはいる。
ゆずのまま逝ってしまったから、呼び名も『ゆず』のままだけど、まあるいお日様の色をした果実を持つ樹の名前も、『太陽』に似てたあの子には、本当はぴったりだったんだな。
いつか私が会いに行くけど、待ち切れなかったらゆずがうちに来たらいい。今度は長くいたらいい。ゆずだと分かるように、手枕が好きなのは変えないでおいでね。

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