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「恋人はスナイパー 劇場版」

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恋人はスナイパー 劇場版 プレミアム・エディション恋人はスナイパー 劇場版 プレミアム・エディション
内村光良 六車俊治 水野美紀

ジェネオン エンタテインメント 2004-10-22
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DVDを買ったまま、遂に地上波放送の日を迎えてしまいました(^^;)
というわけで、地上波放送している時に、ちゃんと自分のDVDを観ることにしました。
(これは阿部ちゃん繋がりではありません、念のため。「恋スナ」が好きだし、ウッチャンが好きなのです。)
悪い意味ではなく、劇場ではなく、自室で観れたのは良かったなと。やはり劇場で完全に浸ることは難しいですから。
そして私は改めて、この作品に強い思い入れというか、そういうものがあるんだなと感じました。だからこそ、観終わった今、憤慨しているわけですが・・・
全体としては悪くなかったのにね。突っ込みどころはいくつかありますが・・・(^^;)
ネタばれを含みますので、万一まだ観てないという方の目に触れないよう、その辺は続きで・・・

色んな条件を考えれば、致し方ないラストだったのだろうとも理性では思います。

自己犠牲、大好きです。それが本当に人の役に立つことであるからこその自己犠牲ですから。役に立たないものは自己犠牲とは言わないと思ってるし。さらにその相手が愛する人なら最高。

が、本当にあのラストの凱歌の自己犠牲は愛する人のためになったか?と言うと答えはNO

きなこはこれからの一生、愛する人(劇中では「愛とは違う感情」とも言ってはいるけれど)を失った喪失感と、人の生命をどんな理由であれ奪ったという痛み・苦しみ、そしてそれを決して償うことができないが故の罪悪感(凱歌の犠牲を思えば、おいそれとは告白できないし、周囲はこぞってそう説得するでしょうし)を抱えて生きていくんですよね?

もちろんだからと言って、凱歌の苦しみの一部を、身を持って知ってしまったきなこに凱歌を引き止めることはできなかったでしょうけれど・・・。

罪を共に償うことを考えたきなこ。いっそ凱歌の後を追って欲しかった。どちらか一人が残るラストなどどうしても受け入れ難い、私には。

最悪、凱歌が打たれてしまったシーンが入っていれば、まだどこかしら諦めもついたというもの。あれじゃぁ、いくら三部作と言っても、「実は、打たれたけれど死ななかったんだよ~ん」っていうのもアリになってしまう。それも許せん。潔くないから。

男性的自己満足発想としか感じられないラスト。あんなふうにしてまで愛されることに酔える生き方は、私はしてないからやはり納得いかない。

私は、相手が私のために勝手に死んでいくのは許しません、きっと。



もちろん、納得いかないラストを持った映画も小説もいくらでもあります。誰にでも満足してもらえるものなんて、そうそう作れないものだし。

けれど、とても大事に思っていた作品なだけにこの腹立ちも倍増してしまうのです。そうではない作品なら、「何で!?」と思いつつも、「しょうがないか」と思えてしまいますもん。

このもやもや感、当分は解消されそうにありません。時間と共に薄れるのを待つしかないです。

あくまでも「今現在」の「私個人」の感想というか、感傷ですのでね、これは。なので、もしかしたら次に観た時は違う感想になってるかもしれないですし。



最後に、それでも私はこの一連の作品が好きですよ。とてもとても。これだけラストに憤慨させられても、その気持ちに変わりはないのですよ。いや、自分でも不思議に思うほど憤慨してしまったことで、余計にそう思ったということでしょうか。

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