湯本香樹実/新潮社(文庫)
★★★★☆
いつも3人一緒ののっぽの木山、太っちょの山下、眼鏡の河辺。小6の夏、山下が田舎の祖母の葬式に出たことから、河辺は「死んだ人を直に見てみたい」と、町外れに住む、一人の老人を監視しようと言い出す。
やがて、3人の監視は、監視ではなくなり、いつの間にか老人は初めて見た時よりも元気になり、木山達に家の手伝いをさせ始めたのだった。
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少年3人と老人の交流・・・とだけ書いてしまうと何だか陳腐な気がするけれど、決してそんなことはなくて、常々思ってることー子供はおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住むのが一番だーを、改めて感じたりした。
もちろん、親馬鹿ならぬ、祖父母馬鹿は本当に困るのだけど、祖父母というか、老人からしか学べないことというのが本当にある。親も、自分の親と子供と一緒に暮らすことで、一層学べるものがあるし、それによって得られる安堵というものがあるはず・・・・・・なんだけど、確かに現代じゃぁ簡単じゃないことではある。
死、って小さいうちに身近で学んだ方がいい、と私は思っている。飼い犬、飼い猫などの生命の終わり、を経験すること、身近な老いた人、つまりおじいちゃんおばあちゃんの死を、それがどういうものが理解できなくても、肌で感じることはとても大切だと思う。間違っていけないのは、血の繋がりではなく、どれだけ身近であったかということなので、遠く離れていて、滅多に会わないんじゃぁ、意味がない。
死、そのものを子供から隠してはいけないとも思う。もちろん凄惨なものであれば、幼い者達に見せたくはないと思う。けれど、死、それ自体は隠さなければいけないようなものではない。身近な存在の死、によって学ばなければいけない愛があるから。そこから強さを人は学んでいけるから。
という、私も一緒に祖父母と暮らしていたわけではない。けれど、毎週のように祖父母宅に連れて行かれていたのは、子供心には鬱陶しかった(^^;)けれど、今は親に感謝している。あの頃、木山達のように学ぶことはなく、気付かないままずっと生きてきたけれど、親と祖父母達に作ってもらった土台が、今の私を支えている。
そして私が始めて肌で感じたのは、曾祖母の死。小1で、本当にまったく何も分からなかった。横たわる曾祖母が何だか怖かった。周りで泣く祖母や叔母、母も怖かった。葬式で学校を休まねばならないことだけが悲しかった。けれど、確実に私の中に、死、というものが刷り込まれたのだと思う。
今、概念として、私は死が怖いものだとは思っていない。死の間際、もしかしたらみっともなく振舞ってしまうかもしれないけれど・・・。だから、余計に、山下が「あの世に知り合いがいるんだからさ」と言った言葉の爽快さが、強く胸に残る。
かけがえのない夏を経験した3人が、心の底から羨ましくなった。
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